後日談前夜



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 さあいたずらをしよう
 うまれてはじめてだ
 どきどきする
 どんなかおするかな?
 おこるかな?

 
 いたずらと言う言葉を胸の内に繰り返せば、昔意図せず悪戯の様なことをしたのを、不思議とくすぐったく思い出した。
 大好きな英雄の本を読んで欲しかった私と、出かけなくてはいけない父。父の靴に目を付けたのは良いけれど、少々短絡的だった。
 困り果てた父の顔、そして私の机の下から靴を見つけた母の声。
 …どうしてか父は私を叱らず。
 私を膝に抱いて、本を読んでから出かけていった。


 思い出す。今、今思い出せば温かな、あなたが温かいと、それは温かいのだと教えてくれた記憶。
 だから私は悪戯をする、生まれて初めて、慣れないことをとあなたは呆れる。

 
 ああでもどうか、まるで父のように許して欲しい。

 
 月が墜ちてゆく。
 地の果ての氷塊が、幾億を経て軋み割れて溶けて消える、そんな音がそこら中に満ちて頭に響く。
 名残惜しさが体に満ちる、ここは私の人生で一番優しかった場所。
 唄うようにあなたが嘯く、『置いて行かれるのは嫌だから、愛の証に置いてゆく』
 本気の振りが上手いひと。
 あなたはいつだってそうで、優しい嘘で私を困らせない。
 だから私が困らそう。


 踵をつけて、背中を合わせて、カウントは3、二人で決めた。
 ぱらぱらと落ちてくる欠片、その向こうに針の先ほどの光。
 「あれが出口ですか?」
 「ん?そうそう、あれ。俺のはこっちだけど」
 「そうですか、ありがとう」
 悪戯の成功が事前の下ごしらえとセンスにかかっていることは、あの悪戯の日から学んだつもりだ。
 彼に較べて私のセンス不足は否めない、だから用心深く、確認は怠らずに。
 ゴールはあそこ、後ろで伸脚とアキレス腱伸ばしのようなことをしている彼は強がっているけれど、もうぎりぎりの体力であることは間違いない。
 …重くはないはず、たぶん、見た目から、おそらく60s弱
 気づかれないように、早駆けのルーンを素早く三度踏んで。どうか上手くいきますように。
 「ねー」
 「なんですか?」
 不審気にのぞき込んでくる。どうしよう、ばれたのだろうか?
 彼は、
 「ズル無しだかんな」
 「…そちらこそ」
 息を吸い込む、高鳴る胸よ、今だけ静まれ。

 
 美しい、私と彼の夢が、ぱらぱらと降り積もる。
 それに埋まるのを拒んで私たちは走るけれど、私は私の夢の続きを今から描き出す。

 
 カウント1
 「」
 (ああ上手くいきますように!)
 カウント2
 「」
 (彼が暴れたらどうしよう?あきらめの悪さは自称しているし…)
 カウント3
 「」
 (ああもう!暴れたら死なない程度に殴って大人しくさせてしまおう!)

 
 そして私は、

 
 ふわりと掬い上げた、思ったよりずっと軽いのは半分消えていたからなのだろうか?
 消さない、消えさせない、逃げさせないし逃がさない。
 「は!?へ?え!!」
 「軽いですね、ちゃんと食事は取らせていたつもりでしたが」
 「え?あ?嘘だろ!?おいマスター!!」
 「全くあなたはおしゃべりだ、舌を噛みます、黙っていなさい」
 「誰が黙るか、こらこのクソマスター!!」
 小柄な悪魔は相変わらず口が悪い。


 心臓が張り裂けそう。死んでしまうのにさえ慣れているのに、なんだってこんなに緊張するんだろう。
 悪いことをするから?机の下に靴を押し込んだとき、確かに指が震えてた。今も彼を抱える腕は、病気の様に震えている。震えているけれど。
 降りかかる欠片の、ひときわ大きな一片に、一瞬私と彼が映る。私は、なんて楽しそうに笑っているんだろう。

 
 そして私は走る、走る走る走る走る。ゴールはもうすぐ、でも気は死んだって抜いてやらない。
 抜け出そうともがく体を、折れなければいいやぐらいの力で抱きしめた。
 「うぎゃ!折れる!折れるってばバゼット!!」
 「それは少し困りますね」
 「少しかよ!」
 「後で繋いであげます」
 担いでいるその体が温かい、それだけでこんなにも胸にこみ上げるモノがある。
 もう二度と、離さないと決めたから、放しはしない。
 「なんのつもりだ!このままじゃ…!!」
 「いいから黙って!私のモノにでもなってしまえ!」
 「うわぁ!それって俺の死亡ルートじゃんかぁぁぁ…!!」

 
 光の粒子が満ち、体に纏わってゆく。
 点は密度を増し、空間を埋める。
 「抜ける…!!」
 どちらの声か、響き
 そして…


 そりゃよく考えてみりゃ道理なんだよな、テンノサカツキは概念上月と同じ所にあるわけで。
 そこから飛び出りゃ当然…
 だからやめろってずっと叫んでたろ?人の言うことはよく聞きましょう、人じゃないかもだけどさ。
 考え無しの馬鹿マスター、だからほっておけないお人好しの俺なのだから。
 

 「え!?」
 「え!?」


 声は当然ハモった。
 状況を視認するのには0.01かからず、だが理解は大分遅れた。
 足下に美しい満月、頭上に満天の星…ではなく
 大落下、大墜落、フォールダウン!!
 懐かしく愛しい冬木の街、地上にもある星々が、俺たちを抱きしめようと手を広げている。
 ちょっと待て、ホントに月から墜ちてないだけましか!?いや違うってどっちにしろ死ぬって!
 「うわぁぁ馬鹿マスタァァァ!!」
 「うるさいですね!私が馬鹿マスターならあなたは馬鹿サーヴァントですっっ!!」
 「この状況で落ち着くなぁぁぁ!!」
 「落ち着いていません!混乱を通り越しているだけです!!」
 「余計悪いぃぃぃぃ!!」
 まさにヘブンズフォール、風が耳を切り裂いてゆく。
 重力0はバーサーカーに蹴飛ばされた時一瞬経験したけど!でもまさかこんなイベントへのフラグだったとはね!!
 「あいきゃんふらい!あいあむばーど!」
 「なんの呪文ですか!?」
 「この期に及んで呆けるなぁぁぁ!!」
 星がどんどん大きくなる。自由落下の最高速度は理論上いくつだ!ああその前に地上に着いちゃう墜落しちゃう!
 バゼットがごくりと喉を鳴らし
 「と…トマトピューレ…でしょうか?」
 「冗談じゃねぇぇぇぇ!!」
 ええい落ち着け!冷静になれ!冷静になれば混乱してるより…駄目だどっちにしろ死ぬ。
 しかしどうせ死ぬのだと理解したとたん落ち着いた、いや死ぬのは慣れてるし。
 問題はこのマスターだ、どうしてくれよう空中じゃ何にもできないよ、どうせ死ぬなら色々できように。
 未練がましさを存分に塗った視線を向け…その時ふと、繋いだ手が視界に入った。
 あーそーいやなんか繋ぐとかなんとか、手じゃなかった気がするけど。
 温かい手のひらはすでに死人のものではない、それが嬉しかった。
 小さく震えるほどに強く強く握りしめられている。
 …こんなにも、求められていたか。
 それは新鮮な感動。
 「…離しませんよ」
 視線に気付いて、バゼットはふんと口を尖らせた。
 イエーイマスター今までになく可愛い表情だぜ欲情した、但しバックの夜景がどんどんリアルになってくのがいただけない、死んだら何にもできないよ?
 「…どーすんの?空飛べるルーンとかあったっけ?」
 「残念ながら。私がもう少し封印指定を少なく請け負っていれば、神が救いの手を差し伸べたかもしれませんが、張り切ってましたから」
 「あー…神様はなー…俺がいるからなー…ん?お?」
 遙か地上、ビルの屋上に、懐かしい姿をみつけた。
 何やって…あー、あの気持ち悪い奴なら俺たちを助けたりとかするのかも、うわぁきもいなぁ!!
 「どうかしましたか?嬉しそうにしていますよ」
 「いや…あのさ、神様は駄目だけど当てがある」
 「何ですか?」
 「あそこにいる、赤くてでかいアングラーとちっせぇ正義の味方!!」

 
 正義の味方と魔術師は高いところがお好き。
 新都ビルの屋上に、並ぶ二人は、 そろって目に強化を叩き込み、空を凝視している。
 士郎は傍らに立つ男に視線を戻し問う、
 「なー、確かにさぁ、さっき気が付いたらここにいて、四日間記憶喪失だぜ?でもホントに俺そんなことした?」
 弓兵は月を見上げたまま、小馬鹿にした笑いを浮かべた、
 「自覚がなければ罪ではないと?ハ、とんだ正義の味方だな」
 むうと顔を顰める、月の光に目を焼かれたわけではなく 、
 「だってお前の説明だけじゃ…」
 「仕方なかろう、どうやら今この世界にいられるのは張本人二人と使われたお前と、同じ因子で出来た私だけだ。凛も桜もセイバーも先に帰った」
 「…でも…」
 「ほらぐだぐだ言うな、落ちてきたぞ。チャンスは一度だ、しくじるな」
 遙か空の彼方、月と重なる胡麻の様な影が少しずつ大きくなる。
 あ、ほんとだ、ホントに落ちてきた!と士郎が叫んだ。
 「こういう仕事はお前好みだろう?」
 「そりゃそうだけどさ、でもアーチャー、お前はどうして」
 「…気まぐれだ」
 そう言って黙る弓兵。これ以上は何も聞けまいと諦めて、士郎も自分の回路に集中した。

 
 回路の起動。撃鉄を起こし、理性をすり減らし、生命そのものをストッパーにして自分の内側の力が皮膚を破らないように全力で制御する。
 その最中、夢のような何かを見た。
 (ぁ…)
 ふっと頭の中を、おぼろな景色が、途切れた思考が、淡い感情がよぎる。
 自分のモノにしてはかすんでいて、他人のモノにしては確かなそれは。
 (ああ…これが)
 アーチャーも、もしかしたらこれを見たのかな?
 だとしたらきっと同じように、懐かしく愛おしく、胸を焼かれたんだ。
 こいつも、何でもない日々のかけがえのなさを、ありふれたモノの大切さを、そして取り返しのつかなさを実感したことがあるから。
 「何をニヤニヤしている、気味の悪い」
 「うるせーな、ほら集中しろよ」
 「ふん…いくぞ」

 
 「熾天覆う…」
 「七つの円環!!」

 
 『ロー・アイアス!』


 光。
 闇を払いはしないから、美しく輝く。


 空を覆う光、月さえかき消し、今だけは槍を剣を防ぐのではなく、墜ちくる願いを支えるために。
 胡麻の様な影が二つその盾に墜ちたのを見届けて、士郎は体の力を抜く。
 眩しさに瞳を閉じ、無理をさせた回路の痛みを心地よく感じた。
 「前から思ってたけどさー…」
 魔力を使い果たし寄りかかる士郎を、弓兵は突き放しはしない
 「あれ、花みたいな」
 その体が、少しずつ透けてゆく。消耗が激しいから、弓兵より早めのようだ。
 「ふん、さっさと帰って眠れ」
 「うん、お前もさっさと来いよな…」
 士郎が完全に消えたのを見届けた後、弓兵も溶けて消えていった。
 輝きを取り戻した月が、白々と灰色のコンクリートを照らしている…


 …山の端が白く光り始める。
 五日目のない夜の夢の国は、もうすぐ消えてしまう。
 誰もいなくなったビルの屋上に、二人は降り立った。


 「あれは…?」
 「お人好しの馬鹿が出したんだよ。ま、助かったな」
 さて、とアンリはバゼットに向き直り
 「…どーゆーつもり?」
 バゼットは…赤くなり、青くなり、また赤くなった。
 コホンと咳払いひとつ。
 「あなたは私の左腕です、いなくなられると物理的に困る」
 「へー?ほーん?なんかさっきは別のセリフ聞いたような気がすんだけど…」
 「幻聴でしょう、ほらあなた消えかけてますし」
 そう言って、バゼットもまた消えかけた右手を差し出す
 「私と共にあって欲しい」
 「…ストレートだなー」
 「あなたほど口が上手くないから、それに私は不器用で馬鹿です」
 「…」
 「それに臆病ですし、運も悪いですし、なんと言っても負け犬ですから」
 「…なんで自虐しつつそんな爽やかスマイルなわけ?頭イッた?」
 「ちょっとは黙らないとここから蹴落としますよ」
 「…」
 「無様にはい回るのが私にはお似合いです、だから無様に、すがってみようと」
 微笑む姿は美しいと、不覚にもアンリは感じた。
 こんなこいつだから、汚すわけにはいかないのだ。それは変わらない。
 けれどこんなこいつだから、すがる手を振り解けるわけがない。
 「…あーあ、非道い女に引っかかった」
 「それはあなたにだけは言われたくありませんね、随分個性的な五人の様でしたが…」
 「何で知ってんの!?」
 「聖杯内でずっと四日間を”読んで”いました、この町は楽しいところですね」
 「あれはあいつのだって。俺とは関係ないって!」
 「じゃあ銀髪の彼女はどうなんですか?子供まで求められていたではないですか」
 「うぐっ…」
 アンリは、思い切り怯んだ。
 「…そこまで見たの!?」
 「ええ。…私は男女の機微には疎い方ですが、ヤリ逃げはよくないと思いますから、一番に彼女の所に行きましょうそうしましょう」
 笑顔が怖い。
 これからの日々って実は”あそこ”と大して変わらない地獄なんじゃないかとアンリは思ったが、
 (ま、それなら救えるモノがあるだけましか…)
 年季だけならサーヴァントの中でも長い方、日々はきっと夢のように過ぎて、いつかまた還る日が来る。
 その日々を渡そう、持ち物が何一つ内無いこのバゼットに。
 (賑やかしくらいにしかなんねーけどなぁ…カラテでも習うかねぇ)
 それもあまり意味がなさそうだと考えて、ふと”未来”のことを考える自分に気が付く。
 「いかんなぁ、悪魔として腑抜けてるよなぁ…」
 「なんですか?」
 「いや、ちょっと疲れた…あのさ」
 「なんですか?」


 のぞき込んでくる、その顔に


 「あっ…アンリ!!このっ…あなたはホントに!!」
 「いーじゃんいーじゃん、シチュエーションとしては最高だと思うけど…ってなんでフラガラックだすの!?」
 「急所は外してあげます…」
 「うわ!やだやだ!!」
 すがろうにも世界に二人しかいないので、アンリは逃げ込んだ。
 「え…?」
 『いつもはここにいることにするから、いくらむかつくからって自傷は無しな、マスター』
 …左腕が、義手が少し重く感じた。
 「まったく、卑怯にかけては右に出る者がなさそうですね」
 悪魔に対しては最高の誉め言葉だろう。
 「あぁ…日が昇りますよ」
 眩しくて、瞳を閉じた。


 目を開ければ見慣れた天井、目新しいのは満ちる光。
 「さぁ、マスター…なにしよっか?」
 パズルに最後のピースを押し込んで、振り返る彼に笑う。
 「…一番はあなたの服でしょうね」


 美しくて汚くて脆くて強いピースの詰まった伽藍が、今こそ回り始める。
 光ばかりの日々で無いことなんか最初から知っているから、勇気を出して覗きに行こう。
 二人だから、きっと楽しい。







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