夜に咲く花
ここでなく、今でない。
夏の初めの物語。
その昔、肺を患った老画家は、病院の窓から見える枯れたツタに、命と引き替えに新しい葉を書き足した。
老画家の命と引き替えの若葉は、一人の少女の命を救い…何度も読み返したことがある、名作だ。
そして今、
ここ冬木総合病院の、この病室の窓からもツタが見えるには見えるが、それは初夏の日差しを一杯に浴びてのびのびと繁りまくり。
「いいではないか、長生きするぞ」
「生き恥を晒してまでか…」
ベッドに突っ伏す俺に、一成はご愁傷…と軽く手のひらを立てて見せ。
「命あっての物種という…人の噂は七十五日、耐えろ衛宮」
「二ヶ月半もか!」
一成は俺の叫びをクールに受け流し、ベッドサイドの篭盛り果物…藤ねえが置いてったやつだ。
そこからリンゴを取り出すと、器用に剥いて…あろう事かウサギにした。
「ほら、あーん」
「やめろ!自分で…」
「……」
「……」
溜息一つ。
「できんからしてやっているのだろう…ほら、あーん」
「うう…あーん…」
ウサギは涙で塩が効いていた。
俺、衛宮士郎は、学校の窓辺でうろうろしていた、巣立ち損ねの鳥の雛を捕まえようとして、間抜けにも窓から落ちた。
そして両手首にひびを入れ、頭も打ったかと検査入院。
オマケに何故かレントゲンにおかしなものが写ったと、入院期間は延びている。
そして更にオマケに、落ちたのが女子更衣室の前だったせいで…学校ではびこっている噂は想像に難くない。
「まぁそう酷い噂にはなっておらん、おまえの人徳だ」
「…雛は?」
「生物部が焼き鳥にしないという誓約書を書いて引き取っていった、すり込み実験後に顧問のペットだ」
「そっか…」
生物の先生は人の良いおばさん先生だ、とりあえず安心していいだろう。
ほっとして、ベッドに体を預ける。
「早く退院できるといいな」
「んー、今朝も先生に催促してきたからな」
「レントゲンの影は?」
「あれなんだけど、検査しても影の場所に異常所見がなくてさ…なんか機械が古いせいだったんじゃないかって」
「なんだそれは」
「今までこんなことなかったらしいけどな、異常が無いのは確からしいから、二三日中に出られるはずだ」
一成はむうと顔を顰め、
「一人では両手が不自由な暮らしは大変だろう?」
「固めてるけど動かないわけじゃない。それに骨なんかじっとしててもくっつかないだろ、足じゃないし」
「理屈はそうだがな」
水差しを取ってくれながら。
「早く出られるに越したことはないだろうな」
声に含みがあった。
「なんだよ…看護婦さんになんか聞いたのか?」
眉目秀麗の上に、怪我をした同級生を欠かさず見舞う礼儀正しい高校生はナースステーションのアイドルのハズ。
「いや…下らんうわさ話だ」
一成は言葉を濁したが、ここは怪我人の強み発揮だ。
「教えてくれよ、毎日ベッドで退屈してるんだ」
「むぅ…」
一成は顔を顰めたが。
「…下らん話だぞ?この病院には…」
「ふん、どこの病院にもある怪談話だな」
艶めいたアルトが、馬鹿にした様子で結論づける。
「ちぇ、勤めてる人間に否定されたらなぁ」
「否定も何も、この病院は創立20周年を迎えとらん、オマケに夜勤中に死んだ女医もいない」
「つまんないな」
「学校で不謹慎な噂を流されてはたまらんからな」
そう言って、アーチャー先生は長い銀の髪をうざったそうにかき上げた。
アーチャー先生は夜の回診担当で、一日ベッドで暮らしていて夜更かしにならざるを得ない俺は、毎晩先生と話している。
寝ろ寝ろ言う割に何もしてくれない他の医師と違って、先生は俺が眠気を催すまで話に付き合ってくれた。
担当が違うせいで昼間会えない分、夜にこうして会えるのが嬉しい。
他の患者さんが眠っている暗い病室で息を潜めて話すのはスリルがあったし、夜目に浮かぶ先生の銀の髪が好きだった。
「ふん…化け物は人につくものだ、土地に縛られる事はあっても土地につきはせん…人の方が温かくていいだろう」
「だから?」
「もしこの病院にそういったモノがいるとしても、そのうち誰かについて出て行くだろうよ」
怖いことをあっさり口に出す。
「…ふむ、そう言う意味では病院というのは理想的だな、人がやってきては出て行く…弱った人間にはつきやすかろう」
「あの…怖いんだけど」
「トイレならついていってもいいぞ?」
「それは断る!」
こういう遣り取りが出来るから、俺は先生が好きだった。
「なに、一般論だ、お前が思うようなものはこの病院にはおらんよ、保証する」
クールに微笑むと、検温した体温計を覗いて綺麗な眉を顰めた。
「いつも高いな…夜上がるのはおかしいぞ?」
そう言って俺の額に手を伸ばす…手のひらは冷たくて気持ちいいけれど、
「う…お、起きてるからだろ?」
少し慌てた。
とっさに出た言葉は半分本当で残りは嘘。
半分の真実は、先生がこちらを覗く瞳が握っている。
「ならいいが…」
離れてゆく手のひらを少し惜しく思う…細くて白い指は、植物の茎のように冷たくてしなやかだった。
どうやら衛宮士郎は…このクールな女医さんに惚れていると自覚したのは今日の昼。
明日にでも退院してもいいと主治医から許可が下りた時、ふと寂しさを感じた瞬間だった。
だから今夜は来て欲しいと思っていた。
お別れを言って、だめもとで、病院以外で会えないかと言ってみるつもりだった。
初めての決心に、心なしか舞い上がっていたのだろう、
「退院、明日だそうだな」
だから正に口に出そうとした瞬間先手を打たれて驚いた。
「知ってたんだ…」
「ナースステーションに行けば直ぐわかる」
ふぅと息をついて、先生は俺のそばのベッドの淵に腰掛け、問診票を膝に置く。
これがずっと…といっても一週間にも満たないが、俺たち二人の定位置だった。
長いまつげがふっさりと降ろされる。
「お前はずっと、ここにいるような気がしていたよ」
「はは…そんな、骨折だし」
「この病院には随分長くいるがね」
先生の手が、俺の膝に乗った。
「こんな気持ちになったのは初めてだよ」
「……」
それは?
長い髪が夜目に、今夜も変わらず美しい。
闇に浮かぶような銀色の髪と、冷たくて淋しそうな瞳、ふとよぎる影。
もう何年も一人だったような…この人が好きだ。
「士郎」
静かなアルトが俺の名前を呼んでドキッとした。
「私は…ここでない場所でお前に会ってもいいだろうか?」
「そ、そんなの当たり前じゃないですか…!」
勢い込んで答え、慌てて付け足した。
「俺も…先生と会えたら嬉しいです、これからもずっと…」
言った…!
音を立てて顔に血が上ってきた、ああ、くらくらする…
のぼせていると、茹だった俺を見て先生がクスリと笑った。
「ますます体温があがったな…これでは退院が延びるぞ?」
「そんな…」
「…そうだな、私もお前に会えるのなら、お前が早く退院したって構わない…ほら」
そう言って、俺の頬は先生の両手に包まれる。先生の体が、ぐっと俺の体の上にせり出してくる。
「あ…」
匂いがする。かいだことのない花の匂い。
夜に咲く花の匂い。
「私は冷たいだろう?士郎、熱を取ってやる」
そうして口が合わさり、ぬる…と潜り込んできた舌も冷たく、花の匂いがした。
「ん…」
初めての…でも…冷たいのは…?
冷たいのは、夜に咲く花だからか。
「ふ…ふぁ…」
ぺたりと、柔らかい体が張り付き、布越しにもはっきりと、その体の柔らかさと優しい線を感じ取る。
「士郎…ずっとこうしたかった」
耳にかかる、息も冷たくて気持ちがいい。
パジャマの胸元からするりと入り込んで、細い指は胸をまさぐる。
先生の体の下に俺はすっぽりと抱えられて、ああまるで、
「士郎…もう離れない」
憑、…かれ…る、みた…いに…
翌日、昼の光の下で病院の一同に送り出されたけれど、そこに彼女の姿はなく。
「え…そんな先生、知らないけれど…」
そんな答えも、尋ねる前から知っていた。
思えば、”夜の回診”なんてあり得ない事を、あっさり飲み込んでしまった俺は、最初からこうなることを望んでたんじゃないかと思う。
「おお、衛宮!昼からは出席するのか?」
「ああ」
なるべく沢山のモノを見せてあげたいじゃないか。もう何年、あの場所にひとり。
冬木総合病院は、戦中陸軍の病院があった跡地に建つのだと。
俺を抱えた夢物語に、彼女は話してくれた。
時代がかった物言いはそのせいかと、俺たちは二人で笑って…
「…衛宮、どうした?」
「いや、なんでもない。次英語か?ノート見せてくれよ…」
色々なことを話したい、大丈夫時間は沢山あるから。夜になれば、花はまた咲く。
…もう、どこででも会える。もう決して離れない。
おわり
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