起承転結の承-2
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夏の終わりの十日間だったからだろうか、
始めの一日、降るようだった蝉の声は、
日を経るごとに潮が引くかのように消えていった。
これは最後の夜のことだ。
「そっちに着くのは明日の昼ね、あーあ、和食が恋しいわ」
あからさまなリクエストに、承知したと答えて切った。
傍らでは、衛宮士郎が洗濯を畳みながら聞き耳を立てている。
「明日?」
「ああ、和食を御所望だよ」
「そっか…けど、疲れてるだろうしな。素麺辺り、具沢山にしてみるか…」
嫌な顔一つせずに献立を考えはじめるのは、素直なのか馬鹿なのか、
凜の教育がいいというべきか元々がこうなのか。
「なんだよ」
「いや、材料の買い出しならついてゆくが」
「買い出しはいいよ、冷蔵庫の掃除も兼ねてるから」
なるほど。
二人分では消化し切れずに、半端に余った食材を片付けてしまうつもりのようだ。
「たまには賢しい真似をするな」
「おまえのマスターの仕込みがいいんだ」
…ここ十日で、随分余計な口が多くなったのは、
或いは私の責任だろうか、単に打ち解けてきたのか。
「俺たちは今夜どうする?」
「大した物もなかったと思うが、どれも量が半端だ」
「うーん…、店屋物でも取るか?たしかチラシがあったはず」
居間の片隅に溜められた新聞紙と広告を探り、
いくつかの折り込み広告を引き出した。
「なにがいい?」
「なんでも構わん」
「言うと思った…マスター命令、食べたいモノ言え、白状しろ」
そんなことを言いだすのは初めてだったので面食らった。
「何を言っている」
「いいから!言えよ、寿司でもなんでもいいからさ」
膨れてまくしたてる口を摘んでやった。目を白黒させている。
「お前こそ白状しろ、なんのつもりだ」
問い詰めるとうつむいた。襟足と項と、つむじと細い首と。
「いいだろ、なんでも…」
「よくはないな、マスターの意図の汲めぬサーヴァントなど、
使い魔程の役にも立たないものだ」
拗ねたように、夕日に赤く染まった畳に視線をそらしている。
白い首が茜さして染まる。
「お前のそういう問詰め方は狡い」
不貞腐れている、全く可愛らしいものだ。
「で、なんのつもりなんだ?」
「お前が俺のサーヴァントなのは、今日が最後だろ?だから」
俯いてごにょごにょと、サーヴァントの耳の良さを侮ってもらっては困る。
何かおもしろいものでも落ちているのか、
畳から顔を上げないオレンジ頭の髪の一房を、軽くひっぱった。
「…随分好かれたものだな」
「ちげーよ、調子乗るな馬鹿」
上ずった文句は耳に心地よかった。
「それではすしでも所望するか、それでいいか?」
「何でも良いって言っただろ」
チラシを鷲掴んで逃げ出してゆく。
ふと胸が暖まった気がしたが、私はそれが何なのかよくわからない。
これはなんというのだろう、不思議な感覚だった。
「そりゃお前、坊主に情が移ってるんだろ」
「「なんでさ」」
奇しくも声は重なり、一瞬目を合わせたが気まずく逸らした。
「移るも何も、コイツとは同一…こら、ウニを食べるなウニを」
「そうだそうだ、卵と烏賊をやるから俺の中トロに手を出すな」
「けちけちすんなって、ちゃんと特上三人前持ってきてっから」
「「なんでさ!」」
叫びはまたしても一つになった。
「ランサーが寿司屋でバイトしてたなんて、知らなかったよ」
「始めたのは最近だからな、んで、坊主ん家から注文入って、偶然もあるもんだな〜と」
「それがどうして、特上二人前を勝手に三人前にした挙句、上がり込んで食べている」
「港じゃマグロ釣れねぇんだよ」
「当たり前だこの駄犬!!」
とりあえず叱り飛ばしつつ、茶を二人分入れて、ランサーには空の急須を押しやってやった。
「ひっでーな、坊主、お湯あるか?」
「そっちのポットの中だよ。ランサー、バイトはいいのか?」
「お前らの注文が最後だよ、直帰するって言ってきたからな」
「ならいいけど」
よくないだろう、衛宮士郎。
やはりこいつはどこかおかしいところがあるなと、ため息をついて烏賊に手を伸ばす。
「ふーん、やっぱりなぁ」
声に視線を上げると、馬鹿犬はにやにや笑いながらこちらを見ている。
「なんだ、不愉快だ、帰れ」
「やっぱお前ら気が合ってるよ、どっちも烏賊食ってるし」
「む…」
思わず隣の衛宮士郎に目をやると、ちょうど烏賊に手がかかったところだった。
「偶然だろう」
「坊主、次は何食べるんだ?」
「烏賊の次はウナギ食べるつもりだけど…」
「む」
思わずウナギに目が行く。
「下らん」
「まーな、でも気が合ってるのは本当だろ?
ここ一週間お前らちょくちょく見かけたが、兄弟みたいだな」
「兄弟?」
その一言に、なぜか衛宮士郎が反応する。
「ああ、お前ら仲いいよ」
「下らん」
突拍子もないことを言い出す男だ。
私は憮然としたが、隣の衛宮士郎はなぜだか大人しく寿司に手を伸ばしている。
その態度が腑に落ちない私と、急に大人しくなって黙々と寿司を食べる衛宮士郎を、
眺めてランサーはニヤついている。
不愉快だ。
こいつ、食い終わったら箒で掃き出してしまおうと決めて、冷めた茶を啜った。
「なぁ、あそこまでしなくてよかったんじゃないか?」
「安い同情はするな、ああいった手合いは甘やかすとつけあがるぞ」
予定どおりに、ランサーは玄関から掃き出した。
表はすでに暗い時刻、涼しい風が吹いている。
「いいけどさ…風呂は先に使えよ、俺、今日は土蔵行くから」
「また益体もない修練か?」
「悪かったな」
叩きを降りかけた格好で振り返り、睨んでくる。
「悪いだろうよ。お前は何度言ってもわからないんだな」
「うるせーな」
もうあからさまに不愉快そうな表情になっている。
「親身な助言のつもりだよ。お前のしていることは誰も幸せにはしない」
「…っつ!黙れ、親兄弟でもなんでもないのに、
なんでそこまで言われなくちゃならないんだよ」
「当たり前だ、私はお前の…」
私はお前の?
そこで、こちらをじっと見つめる衛宮士郎と目が合った。
固い眼差しは真剣な。それに気が付いて口をつぐんだ。
「そうだな、ホント何なんだろうな、俺とお前って」
泣き笑いのような顔をして、玄関を出ていった。
蛍光灯の明かりの下に、私だけが残る。
屋敷は静かで、いつの間にか鳴き始めた草虫の声がする。
家事はいつもよりずっと早く片付いた、今夜は食器がないししゃべる相手もいなかったからだ。
手持ち無沙汰。テレビにも新聞にも身が入らない。
仕方なしに畳に寝ころぶ、今の姿は凛に見せられない。
「サーヴァントだな、今は」
今はサーヴァント、じゃあ明日からは?知り合いのサーヴァント?
それも少し惜しいような、不思議な気分だった。
衛宮士郎は関係に名前を欲しがっている。
それは、単にあいつが子供だからだ。
この十日で、衛宮士郎が何の他愛もない子供だと思い知った。
身の内に潜めた奇跡の萌芽と煌めいてやがて砕け散るゆがんだ理想。
けれどソレを孕む体と心は何処までもしなやかに光の元にあったから、
或いは導くことが出来るのではないかと、哀れな希望が私の胸の内に宿りつつある。
なるべく側にいよう、煙たがられようとそんなことはどうでもいいから、
事細かに注意しようあいつが折れるまで。
突っかかってきたら本気で相手をしてやろう、年の功だ、当分は敵うまい…。
そんなことを考えながら蛍光灯の光の輪で目を焼いていると、不思議に愉快だった。
ああ、そうかもしれない、確かに私は…けれどあいつはどうなのだろう?
普通は迷惑だな、辛辣な言い様をするなら気持ちが悪い。
けれど、普通の範疇に衛宮士郎は入らない。
つらつらと巡らす思考。
やがてすうと意識が揺らめくが、逆らわずに飲み込まれた。
全く、本当にこの屋敷での姿は人に見せられない。
そうして私は夢を見た。
悪くない夢だった。
目蓋を持ち上げ、時計を見上げると小半時経っていた。
上半身を起こすとひんやりした風に体が冷え切っている。
雨戸を閉めて回り、ついでに衛宮士郎の部屋からパーカーを持ち出した。
庭に降りれば尚肌寒い、土蔵の中はきっと尚。
オレンジ色の明かりが漏れる土蔵の扉をそっと開くと、
予想通り床で寝こけていた。
申し訳のように古い毛布を巻き付けている、
そんなもんで防寒になるか洟垂れの馬鹿ものめ。
くうくうと安らかな表情を浮かべる頬をつま先でつついてやると、
やがてぼんやりと目を開け、
怪訝そうにつま先を眺めてむっとした顔をした。
「なにすんだよ馬鹿」
「よく寝ていたな、さぞいい夢見だったろう?」
「…別に」
「そうか、それは残念だ、私はそう悪くないと思ったのだが」
「……」
判断に迷うらしく、困ったように視線をさまよわせている。
持参したパーカーを投げてやり、手近の椅子に座ると、
ソレはいつかこいつが転んだ椅子だった。私の重さに少し軋む。
「私も悪くないと思ったんだ、士郎」
瞬間、衛宮士郎はうなじから頭の頂点まで真っ赤に染まった。
見えていないだけで、おそらくつま先まで赤いのだろう事は予想できる。
「な…ななななななな…!」
「なんでと言いたいのか?」
口は「な」の形をしたまま首を激しく縦に振った、おもしろい奴だ。
「むしろ今までこういう事がなかった事が不思議だ。
私とお前にはパスがあるのだから、夢の共有があっておかしくない」
「だ、だって、セイバーとは…」
「セイバーは意識して遮っているのだよ。私も出来ないことはないがね」
そこまで説明してやると、真っ赤なままで毛布の中に逃げ込んだ。
だから、逃げ込めていない。
「別に構わんだろう、私は悪くないと言っている、貴様に「お兄ちゃん」と…」
「んなこと言ってねー!俺は兄貴って…!!」
叫んでから気が付いて口を手のひらで押さえたが、何もかもが遅い。
完全に抵抗する気力を失って、床に伸びた。
「悪かったな…」
「悪くないと言っている。まぁ、時々はこの屋敷にも足を運ぶさ。
ここは私にとって、居心地が悪くはない場所のようだ」
それはおそらく、私の過去に起因するのではなく、ここ十日の暮らしのせいなのだが。
衛宮士郎は毛布から顔を出し、こちらを見上げた。
「俺、兄弟いたことないし、なんかよく分からない夢見たなって思ったけど、この十日は楽しかった」
ぶつぶつ呟いた頭を、乱暴にかき回した。
妙な関係だが、今までのモノよりは健全だろう。
細い腕も柔な背中も、お前がお前を幸せに出来るように鍛えてやるさ、と。
私は思っていたのだ、確かにその時。
夏の終わりに。
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