起承転結の承-1



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それは夏の盛りの話。



「じゃ、行ってくるわ。ちゃんと仲良くするのよ」
玄関先で、まるで子供に言い聞かせるように遠坂が言った。
「私たちは幼稚園児では無いぞ、凜」
「そうだそうだ」
図体ばかりはデカイ子供は不満を露にしたが、彼女は気にする風もなく、
「ええい、そうたいして変わりもしないのに、つべこべ言わない!
桜、セイバー、行きましょ」
普段よりは若干長めのスカートを翻して、タクシーに向かって歩いてゆく。
「はい…あ、先輩、作り置きの紫蘇ジュースは、明日までに飲んじゃってくださいね」
言伝をする桜と、
「ではアーチャー、昨日約束したとおり、士郎を頼みましたよ」
生真面目なセイバーの念押しと。
「わかっているよ、セイバー。私も命は惜しいのでね、せいぜい努力する」
「命って…何を約束したんだ?」
「貴様の身に大事があったならば、私は爪先から3ミリ刻みで…」
「アーチャー、誓いを軽々しく口にだすものではない」
笑顔のセイバーにアーチャーは黙り込んだ。
「ま、まぁしっかり見てこいよ、ロンドン。あと桜、合宿がんばれよ」
「はーい」
弾んだ声で返事をして二人も遠坂の待たせたタクシーに走っていった。
「ふう…後は無事を祈るだけだな」
「むしろ乗り合わせる旅客の無事をだな…」
ガンッ!
小気味いい音を立てて
アーチャーの後頭部に当たった紙つぶて…に隠されたガンド。
走り去るタクシーの窓から、器用なものだ。
声も出せずにに踞るアーチャーの背中をさすりながら、
こんなんで本当に護衛になるのかと、ちょっと不安になった。



留学先の下見に、ぜひセイバーをと言いだしたのは遠坂だった。
時代は違えど故郷の土だ、一度踏んでおくのも悪くないだろうという申し出を断るわけが無い。
当初は、ライダーと桜がいれば問題ないということになっていたのだが、
弓道部の合宿が重なったことで、なんとアーチャーとの強制同居になってしまった。
もはや聖杯戦争は終わり、差し当たった脅威も存在しない状態で
そこまで気を付ける必要があるのかと思ったが、
遠坂によると、実利面というよりはセイバーを安心させてやりたいようだ。
そういうことなら自分も異論はなく、今日から十日、アーチャーとの生活が始まる。



遠坂たちを見送った後、アーチャーを連れて門をくぐった。
「さてと、まずはどの部屋で寝てもらうかなんだけど」
「屋根でも庭でも構わん」
「一応他人のサーヴァントなんだから、そんなに粗末に扱えるか。
…ああ、遠坂の使ってる洋室の、隣が空いてるんだけど」
「それはやめておく、和室は空いていないのか?」
「母屋から離れてるけど、空いてる」
「そこにしておこう、お前とはパスがあるからな、大抵の変事には駆け付けられる」
真面目に答える。
「変事ってさ、何が起こるってんだよ」
「何も起こらんだろうよ、万一の保険さ」
自分でそう言ったくせに、俺が買い物に行くと言ったら当然のようについてきた。
なんでさ。



真夏の日差しと舗装道路の照り返しに身を焼かれつつ、道の端の影をわたり歩く。
蝉の声が被さるみたいに、あちこちから響いてくる。
「間抜けだとは思わんか」
「じゃあどうしろってんだよ、大体お前、暑くないのか?」
アーチャーは炎天下の舗装道路ど真ん中を、汗一つかかずに歩いている。
「こういうものは気の持ちようと、日頃の鍛練がものを言うんだ愚か者」
汗腺なんか、どうやって鍛えろってんだこの筋肉馬鹿。
「うう…帰ろうかな、でもタイムサービスが…」
じりじりと音を立てそうな頭皮に将来への不安が募ったが、
結局タイムサービスには勝てず、汗だくになってスーパーに到着した。
自動ドアが開くと、さらさらと冷気が肌を撫でる。
「気持ちいいなー…って、アレ、なんだ?」
「見てわからんか。アレはただ流行真っ最中!品薄バナナ限定300キロ緊急入荷!
脅威の1房98円11時より早いもの勝ち!に群がる主婦だ」
「ああ、なら関係ないや、たま…」
「お前が探している、お買い得卵・お1人様1バックはあの山の向こうだ」
「ええええ!」
通路いっぱいの人人また人。
一人残らずバナナ目当ての殺気を放ち、足元からのぞく赤いトレーナー姿の残骸は
おそらく店員さんのなれの果てである、合掌。
「うーん、これじゃあ卵が割れちまうよな」
「だろうな」
「だろうな、じゃない。お前も考えろよ、二人で食べるんだからな」
他人事のアーチャーに文句を言うと、やおらTシャツの上に羽織っていたシャツを、脱いで放り投げてきた。
「了解した、そこで待っていろよ」
そうしてアーチャーの姿は、人だかりのなかに消えたのだった。



「あーあ、ぐっちゃぐっちゃだな」
笑って、アーチャーの頭に手を伸ばした。
「卵は死守した、文句ないだろう」
「まあな」
かごの中には無傷の卵パックが二つ、ぐっちゃぐちゃなのは、アーチャーの髪だ。
「ばーか」
頭を撫でて髪をなおす。
アーチャーは、不思議とじっとおとなしくしていた。
「他には何を買う」
「ちょっと待てよ、チラシ出すから」
こいつと二人で十日だなんて、どうしようかと思っていたけど、結構うまくゆくかもしれない。



アーチャーは、普段一人で生活を立てているというのも納得の、慣れた調子で店内を巡る。
「もしかして、結構来てるのか?」
「まあな」
ふーん。
アーチャーに任せていれば、あらかたの物は揃いそうだった。
傍をちょろちょろしているのもなんなので、少し離れた荒物売場へ向かう。
雪平鍋が見たかったのだ。
棚を順に見て回ると、どうも陳列中の雪平鍋は切れているようだ。
こういう場合、在庫は棚の上なんだけれど。
…届かない!
非常に不本意だが、現実は受け入れなければならない。
しかしささやかなプライドが、店員を呼ぶのを躊躇わせる。
「うう…背伸びすれば!」
腕を伸ばして爪先立ちになる、あと少し!



「お客さま、危険ですので、
棚の上の商品をお取りになる際は店員をお呼びください」



指をツルほど伸ばし、ようやく触れることのできた鍋の柄は、
含み笑いを孕んだ台詞と一緒にさらわれた。
「なにすんだよ」
思わず低い声が出るが、背後の店員はへらっと笑った。
「なんだよ、気の利く店員がせっかく取ってやったんだろ?」
「ここでもバイトしてるのか」
「キンローイヨク?が高いからな、俺は」
そう言ってランサーは、ははと笑った。
スーパー店員の証に赤いトレーナーを着、青いデニムのエプロンにはネームプレート。
「『リン』なのか?」
「パートのおばちゃんが、こっちの方が呼びやすいってよ」
さもありなん。
しかし、スーパーの店員ルックがいかにも似合う…というのは光の御子としていかがなものか。
「何はなくとも先立つものだろ?」
英雄も随分世間ずれしたものだ。
「変わった相手と一緒なんだな、セイバーやら、ええと…桜嬢ちゃんか、はどうしたんだよ?」
「セイバーは遠坂と一緒にロンドンだよ、桜は合宿」
「へぇ…ロンドンね」
ランサーの反応に、俺はこの英雄の故郷を思い出した。
「ランサーも行ってみたいか?」
「そうだな…ここの暮らしも悪くない、今はセイバーの土産話を聞くだけでいい」
「そっか」
ランサーは、戦争に合わせて転々と暮らしてきた過去からか、どこの土地にも直ぐなじむ性格だ。
しかしそれだけに、ひとところには居着かない印象がある。
ある日ふっとやってきて、溶け込んで、またある日ふっといなくなるような。
「行くときは言えよ」
「…坊主、そういうセリフは誰か可愛い女に言ってやる方がいいぞ、嬢ちゃんたちとかよ」
困ったように笑うと、がっしがっしと乱暴に頭をかきまわされた。
まるで子供扱いだ、アーチャーもランサーも。
悪くはないけれど、少しは大人扱いして欲しいものだと思いながら、掻きまわす腕を見つめていた。



「何をしているんだお前らは」
頭上から、突然どす黒い声が降ってきた。
当然その声の主はアーチャーなのだが。
「ランサー、ここでバイトしてるんだってさ」
振り返ると…あれ?なんか機嫌悪いのか?その眉間の皺は久しぶりに見る気がする。
オレンジ色のカゴの中に、今日の買い物リストの品を揃え、険しい表情で仁王立ちだ。ネギが突き出ている。
「そばを離れるな」
ぐいと引っ張られて、なぜかアーチャーの背中に隠されてしまった。
「声かけなかったのは悪かったよ、でも、ここ、スパーだろ」
「現にこんなもんに絡まれていただろうが」
こんなもんよわばりされたランサーは、おかしそうにこちらのやり取りを観察している。
「確かに絡まれてたけど…って引っ張るなよ、どこ行くんだよ!」
「レジに決まっているだろう、さっさと帰るぞ」
「なんでいきなり…おい!」
ずるずる引きずられていく俺に、ランサーがこそっと耳打ちした。
「久し振りで張り切ってるんだ、まぁ勘弁してやれよ、坊主」
張り切っている?何に?
意味がわからず混乱する俺と、地獄耳で聞きつけて、ランサーを睨みつけるアーチャー。
そのどちらともを、ランサーは可笑しそうに見つめていた。



「はーなーせー、手を離せ」
「目を離せばふらふらどこかへ消えるなどと…お前は幼稚園児かバカ者」
「幼稚園児じゃない、一人でどこに行こうが関係ないだろ」
「そんな訳に行くか、お前に何かあったらセイバーに膾にされる」
「自分のためかよ。何もないだろうって言ったのはおまえだろ、
何も危険はないよ、今の冬木には」
アーチャーは、結局家に帰り着くまで手を放してくれなかった。
潜り戸を抜けてようやく解放された掌が、風を受けてほんの少し涼しい。
「ひどい目にあった…」
無言で叩きに上がるアーチャーの背中に文句を言うと、振り返って、眉間のしわをますます深くした。
「あのな、私は今、仮とはいえお前のサーヴァントなのだから、こういった処置は当然だと思うのだが」
「へ…」
その一言に、俺は間違いなく度肝を抜かれた。心臓、一瞬止まった気がした。
「え、あ…」
呆けた俺をじろりと睨み。
「全く、尽し甲斐の無い主ばかりだ」
と当て擦りに呟いて、廊下を歩いて行ってしまった。



「久し振りで張り切ってるんだ、まぁ勘弁してやれよ、坊主」



なる…ほど、そういう意味なのか。わかったよランサー。
それがわかれば、俺の意識も変わる。
守られているというのは、くすぐったくも嬉しくも誇らしい。
「アーチャー、ごめん、夕飯作るから手伝えよ」
今は俺だけの、赤い騎士の背中を追って声をかけると、やはり仏頂面でたった一言、
「了解した」
と返る意味が今ならわかった。







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