小話/弓士とか



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お正月

3・2・1・・・・

「あけましておめでとう〜」
「おめでとうございます!!」
今の今まで下らない正月番組で笑いあっていた面子が、突然三つ指ついて畏まるのだから白々しい事この上ないが、新年は毎年こうやって迎えている。
「ああ、今年もよろしくな」
そう応え、よっこらと腰を上げた。
「俺が片すから、みんな行ってこいよ」
飲んで食べて唄って踊ってを繰り返して年越しを迎えたせいで、茶の間の惨状はなかなかのものだ。
「そういうわけにはいかないでしょ、クリスマスもお世話になってるし」
「そうですよ、むしろ私たちがやらなきゃいけないのに、先輩いつも・・・」
そう言う二人を止め、
「いやほら、行くんだろ初詣。だったら風呂にも入んなきゃならないし、女の子の方が準備もかかるからさ」
「それはそうだけど・・・」
「みんなまとめて初風呂使ってこいよ」
藤姉の耳がぴくぴく動いた。
「え、みんなで流しっこ?やろうやろう!」
「うん、頼んだぞ藤姉」


そうしてみんなを送り出し、一人茶の間の片づけを始めた。
三十分くらいで片づくだろう。
その時、
「・・・ん?」 障子の向こうで何かが動いた気がした。
(なんだろ?)
近づいて、開けてみると、
・・・・何もない
「なんだよ・・・ってあれ?」
戻ろうと振り向いて、そこには綺麗に片づいた茶の間。
食器は台所に綺麗に洗ってあったし、畳は拭きあげられたみたいになっている。
これは・・・
「アーチャー、なんの用だよ」
「相変わらずの鈍さだな、衛宮士郎」
「うるさい。部屋で寝てたんだろノコノコ出てくんな」
「新年が始まって十分も経たんのにもう使われているのか」
「・・・あんた新年が始まって十分も経たない内に俺を怒らせにわざわざ来たのか?」
「ふむ、それもあるが・・・」
「あるのかよ!!」
したくもない初怒鳴りをする俺の頭を、アーチャーはわしわしと掴んだ。
「なんなんだよ!」
「いや・・・あけましておめでとう」
「・・・」
は・・・?
「え・・・それ言いに来たのか?」
「そうだが」
え・・・えーと
「あ・・・あけましておめでとう」
「ああ、今年もよろしく頼む」
「う、うん。よろしく・・・」
えーなんか、嬉しいんだけど・・・
「最初にお前に言おうと思ってな」
「そ、そーだったのか、俺はさっき遠坂達に・・・」
「いや、構わん」
そう言って実にいい笑顔をするのだった。
今年も俺はこいつに敵いそうにない。



追記
「ところで士郎」
「ん?なんだよ」
「片づけが早く終わったなら、初詣にも早く行けるな」
「ん、そだな。ありがとうなアーチャー」
「その後私の部屋に来て欲しいんだが」
「へ・・・」
「大掃除の時に、強化で補修をしただろう?少し早めに魔力が尽きそうでな」
にっこり笑うと、
「なに、初詣の後で構わんからな?それでは・・・」
今年もよろしくな・・・と俺の耳に吹き込んで、アーチャーは茶の間を出て行った。
「士郎、良いお湯でした・・・どうしたんですか?士郎」
「いや、なんでもないよ・・・」
真っ赤な耳を隠しながら、
やっぱり色々な意味で今年も敵いそうに無いなぁと思った。




楽しいホワイトデー

「兄さん、オレンジリキュール入れていいかな?」
「待て待て・・・土台がきちんと冷えてから取り掛からないと、デコレーションの頃には分離しているぞ」
「あ、そっか」
「ふむ、知識だけでなく経験も大切だ、こと料理においてはな」
三月某日衛宮邸。
台所を占拠するは大小の黒兄弟である。
バレンタインのお返しというイベントに心動かされたアンリが、朝からとことこやって来て、アーチャーに教えを請うている。
アンリは俺からごっそり料理の”知識”は持っていっているが、いかんせん経験が乏しい。
まぁそれもアーチャーがいれば問題ないだろう。
俺は洗濯物を干すべく立ち上がりかけ・・・


「”コレ”はさ・・・何時入れたほうがいいかな・・・?」
「む・・・アンリ、君はこんなものをどこで・・・」
「実はちょっとキャスターに・・・」


ガバッと振り向く俺。
空々しくそっぽを向き合っているアンリとアーチャー。
「なぁ・・・お前ら今なんか・・・」
「ん?どしたんだ兄貴?」
「大方聞き違えだよ、洗濯物を干してくるのではないのかね?」
「・・・・」
俺は改めて立ち上がりかけ・・・


「効果のほどは?」
「キャスターは自信満々だった。バレンタインに旦那にでも試したんじゃないか?」
「そうか・・・アンリ、指導料というわけでもないが・・・」
「みなまで言わなくていーって兄さん、キャスターいわく二・三滴で十分らしいから」
「なるほどな」


ガバッと振り返り、そのまま台所に踏み込む俺。
そこには・・・なんか青い小瓶を囲んでこそこそする二人。
「あれ?洗濯物は・・・」
「アンリ、それはなんだ」
ごまかそうとするアンリを遮り、小瓶について詰問しようとする俺をアーチャーが制した。
「本当にそれを知ってしまっていいのかね?」
「・・・どういうことだよ」
にやりと悪人笑いをしたアーチャーは、人差し指をピッと立て。
「今ここで何も知らなければ、この液体はケーキに混ぜられて、今夜あたり私がお前に食べさせる」
「・・・知ったら?」
「今ここで無理やりにでも飲ませる。今日はセイバーも桜も凛も藤ねえも、気を遣って出払っているな?」
「・・・・」
アンリがポツリと
「あー・・・俺、ケーキの土台冷えるまで、散歩してこようかなー?」




午前中の清清しい空気は、洗濯物干しに最適だった。
(・・・・なんであの二人はそういうことに関して必ず結託するんだっーーーー!!!)
しかしアーチャーの目は本気だった・・・


「兄さん、アザランこのくらいかな?」
「それでは多すぎるぞ」
台所では、菓子作りに興じる兄弟の間で爽やかな会話が交わされ、庭には俺の怨嗟の声が駆け巡るのだった。




成人式

《全国の会場では、華やかに成人式が・・・》


一月にしては暖かな日だ。
障子越しの朝日が体を温め、時折かすかな風が襟元を冷やした。
仏壇を背に正座をして待つ、一番今日の日を待ち望んだ人は、背後で変わらぬ笑顔を湛えている。
「アーチャー、いいか?」
「ああ、入れ」
すと、少し俯き加減のまま入ってきた。真白と黒の紋付羽織袴を、凛に何度馬鹿にされても譲らなかったのは、
「じいさん、見てるかな?」
「ああ、見てるだろうよ」
たった十かそこらの子供に、成人式はおそろいの羽織袴を仕立てるのさと笑っていた。
彼はモノクロの写真の中から、少し眩しそうに息子の晴れ姿を見つめている。
「大河と雷画爺さんはどうしてる?」
「若衆さん達全員で送り出すって言ってる・・・」
「そうか・・・それなら早く行ってやらんとな」
「頼むから止めてくれよ」
そう言って苦笑する、笑顔の中に三年前の面影を見る。
身長が伸び、肩幅が広がり、面差しは精悍さを増しても、内の少年の影がふと周りを穏やかにする、そんな青年になった。
ずっと見つめていた、もう三年も。
「ちぇ、身長は二十歳までに越してやるつもりだったのにな」
「惜しかったな、後2センチと言ったところだ」
「まだ伸びるかな?」
「努力しだいだろう」
失われてゆくものを惜しみながら、新しいものに目を奪われ続けた。
その日々のひとつの区切りが今日という日だ。
「ふむ・・・」
「あーもう!頭撫でるな!三年言い通しだぞ!」
「そういうな、これも後少しだろうからな」
ひとしきり今日の段取りを話し合い、士郎は仏壇の前に正座した。
・・・その後ろに、アーチャーも続く。
「じいさんのやつは、アーチャーに着てもらったから。・・・じいさんいなくて寂しいけど、みんないるから平気だ」
遺影にぴたりと目を合わせて
「今までありがとう、じいさん。俺こんなに大きくなったよ」
・・・アーチャーは遺影が泣いたのかと思った。
よく目を凝らせば、それは遺影のガラスに映った自分の涙だった。


《全国の会場では、華やかに成人式が・・・》


「・・・ん・・はっっ!!」
一月にしては暖かな日だ。
障子越しの朝日が体を温め、時折かすかな風が襟元を冷やした。
「ゆ・・めか・・?」
茶の間の朝の風景だ、士郎の包丁の音が聞こえる。
・・・自分は新聞を開いたまま、うたた寝していたらしい。
つけっ放しのテレビが、成人式会場の前で華やかに着飾った新成人を映している。
「・・・」
あの寒い冬の夜から、一年が経とうとしている。


「ん、なんだよ?味噌汁の実はもう入れちまったから変更受け付けないぞ・・・っておい!やめろ!頭撫でんな!何回言やわかるんだよ!」
「そういうな、これも・・・後少しだろうからな」
「・・・?」


わずかづつだが確実に自分の目線に迫るつむじを、めちゃくちゃにかき回してやりながら。
指の間を零れ落ちてゆく時のきらめきに目を細めていた。




夢一夜

それは”愛みたいなモノ”でしかなかったけれど。


閃光、一拍おいて音が
爆音が
脇に熱を感じたのはそれからだった
余り熱過ぎもしない
こんなモノだと知っていた
勝負の着く時は何時だってこんなモノ
「く・・・・」
ただ悔しさがあるとすれば、それは最後まで相手の姿が見えなかった事か
姿は”あった”けれど、それは虚ろそのもので、どんなに目をこらそうと・・・・
「鷹の目・・・・が、聞いて・・・ふっ・・・呆れるな」
膝をつく、全身を虚脱感が襲う、こうなればもう五分と持たない
やがて端から崩れはじめる、乾いた砂人形のように
「見えなくても仕方ねーよ」
「・・・・・・?」
今のはこいつの声か?
黒とも言えないただの虚から、響く音ならこれは声か


虚の声、は、なぜだか耳に馴染んだ


「俺はもともと無いからなぁ・・・、いや、みんなにはこいつの形で見えるはずなんだけど・・・」
虚がふらふらと近寄ってくる
もう指先は崩れはじめているこの身でも、三度は袈裟切りに出来ただろう無防備さ
それなのに
「おまえとこいつって、おもしれーな」
虚が笑っているような、そんな声を漏らした
(知っている、この声を・・・)
それはひどく近しい・・・
「ふ・・・」
膝から先まで無くなった、前に倒れ込んだのを、受け止められた
「手足無くなると、さすがに軽ぃーな・・・」
そっと仰向けに寝かせられる。ああ、月が見えるな
「なぜ・・・」
気の利かない質問だったが、きっと脳みそもだいぶ崩れていただろうから仕方ない
虚ろ、は、また笑った
「仕方ねーだろ、こいつが泣くんだ。・・・どうせ元に戻るって知ってるくせによ・・・」
「・・・・・?」
こいつ、とは誰だ?
・・・言葉は声にならなかった、喉まで消えているのだろう
「さよなら、アーチャー。おやすみなさい」
また明日とは、言えない四日目
月が消えた、とうとう目も消えたかと思った
違った
「・・・・・・」
口づけは無言
ただ重ねるだけ
重なったまま唇が、言葉を綴る
「いいゆめを」


それは”愛によく似たもの”だったけど


さらりと音がして、夜風が砂を運んでいく
「・・・ぎゃーぎゃー騒ぐなよ、どうせまた、還るだけだ」
胸にわき上がる、嵐みたいな熱と痛み
頬を落ちる涙
「ったく、そんなに大事なら括っとけ」
笑って、濡れた頬を拭う
「・・・おまえら、馬鹿だなぁ。しかもホモだしナルシーだし、救いようねーでやんの。」
借り物の胸が、借り物の痛みを訴えるから無視した
(ま、おもしろくはあるけどなーーー・・・)
愛とはこんなモノだったな、と
なんとなく思い出す
「さってと・・・」
さっきからマスターが呼んでいる方へ、駆け出す

夜風を切ってゆく
不思議と唇の感触が、なかなか消えなかった




力でねじ伏せ屈服させる。立て!命乞いをしろ!
言ってわかる相手じゃないと、世界で一番よくわかってる。だからこっちも拳の心配なんてせずにぶん殴る。
殺すつもりはないけれど、手が滑ったらごめんなさい、多分遠坂あたりがどうにかしてくれるから。
たぶんこれは、
世界に甘えられる相手が甘えたい相手がお互いしか居ないから、ちょっと過剰になっちゃってる可愛いスキンシップ。
だからお願い、短剣の弾幕一発ぐらい当てさせて。
お前の結界広すぎるんだよ、逃げても逃げてもきりがない。


コミュニケーション・コミュニケーション


「ええいちょこまかと小賢しい!逃げ足だけは大した成長ぶりだな!」
「そっちこそ突っ立ってるばっかりってのはあれか!腰か!歳だな!」
無言で笑顔でソードパレットフルオープンですかそうですか、青筋一本隠しきれて無いぞ!
「良く回る口だな、さぞ疲れているだろうに、楽にしてやるからさぁ止まりたまえ」
「中年が頑張ってるのにそういうわけにいかないだろ・・・うわぁアーチャー青筋増えたな、懐かしい!」
某城のエントランスで見たなぁその顔。あれ?洒落になって無くない?
「装填、第一弾17、第二34、第三68、第四136・・・」
倍々ゲームで空間に剣が現出してゆく。あははーそんなに多いと全部当てきる前に的が壊れるよ!
「うわ!あり得ないから!死ぬ死ぬ死ぬって!」
にっこりと、答え得まくりのスペシャルスマイルを繰り出すと。
「大丈夫だ、ことごとく急所は外してやるからな・・・楽に逝けると思うなよ?」
「えぐいって!前から薄々感づいてたけど!」


弾幕四つ、避けきれるものかなんか知らないけれど、避けなきゃ今夜の食事は俺が当番だ確か。


赤い砂吹きすさぶ中庭のほとりに、オアシスの如く残る縁側。
凛はつまらなさそうにセイバーに茶を勧めた。
「またですか?今回は何が原因で・・・」
「んー・・・なんか煎茶の淹れ方で揉めてたみたいだけど、憶えてないでしょ、本人達も」
二人して菓子皿の塩煎餅を囓っていると桜もやってきた。
「あら、派手ですね」
「固有結界の中なら家に被害がないじゃない?アーチャーったら張り切ってるわ」
「それはそれは・・・先輩まだ大丈夫ですか?」
セイバーは静かに、
「少しは保ってもらわなければ毎朝の鍛錬の甲斐がありませんが・・・」
きりりと視線を上げると。
「しかし・・・いかんせん夕食の時間が迫っています」
さすがは僕らの騎士王様。


右左右左上上下下左右っ!!
「うおおぉぉぉ!!避けた!避けたよ俺!!」
凄いよ俺!頑張ったよお・・・れ・・・
「うむ士郎、良い表情だな。蒼白・絶望・恐怖、程よい加減だよ」
向こうが見えない剣の弾幕背負って、赤い騎士さん嬉しそう。
「何、呪文というのは自己暗示だからな、強いて口に出す必要はない」
視認できるだけで500は越え・・・てるなぁ・・・
「全部食らえば一気に投影のレパートリーが倍加するぞ、よかったな。案ずるな、夕食は私が当番を代わろう、気分が良いのでね。そうだな・・・献立は・・・」
にっこり笑うと、
「ハンバーグなんてよさそうだな?士郎」


「ああ良かった、夕食までにはケリが付きそうです」
「あれだけやっといて、終わったら呑気に二人で台所に立つんだもの、男の喧嘩ってわかんないわ」
「そうですね・・・私はアーチャーさんが絶対に先輩の手当を替わって下さらないのはどうしてかしらってうふふふふ・・・」


「ええい!熾天覆う・・・」
「させるか!!」


お互いのことに真剣だから、こいつにだけは口が裂けても適当は言えないから、結局ここに行き着くんだ。
妥協なしの愛情の、表現法その一。
後は・・・割とね、
お互いしか映らない、熱を孕んだ瞳が気に入ってるのかも。
ほらね、ロマンティック。


だからお願い、一発で良いから当てさせて。




「なぁ、アーチャー」
「なんだ」
「お前さぁ、武勇伝ってあるか?あったら聞かせろ」
「・・・はぁ?」


ブレイブストーリー


気だるい午後、日差し、つけっぱなしのテレビ、お茶、茶菓子、家事を終えて空いている体。
ゴールデンセットに、今日は女子達の外出が重なった。新都の駅地下が新装バーゲン中らしい。
かくて衛宮邸は、男の城と相成っていた。
「それはまさか・・・」
アーチャーはちらりとテレビに目をやる、番組は新人お笑い芸人の特集を組んでいて・・・
「そうなんだよ、俺さ、このネタ”アーチャー格好いい!!”に聞こえるんだ」
「なんだそれは・・・」
テレビからは軽快なリズムに乗せて、コンビ芸人が”武勇伝”に借りたネタを披露している。
確か結構売れている二人のはずだ。
「守護者時代もあったけどさ、その前は世界の戦場を転戦してたんだろ?あ・・・そりゃもちろん・・・」
しまったな・・・という顔をしながら、「・・・話したくないんだったらいいんだぞ」と俯いた。
「いや、まぁ過ぎたことだ、構わんよ」
それに、その時その状況で最善の判断を下したという自負もある、こいつの将来のことを考えるに、少々話しておくのも良いかもしれない。
アーチャーは居住まいを正し。
「聞きたいか、俺の武勇伝」
・・・アーチャーも結構ノっている。


士郎も居住まいを正し、いざ武勇伝語り始めんとしたときだった。
「おいおい、アルスター最高の英雄を差し置いて武勇伝語ろうたぁ良い度胸だな」
「くっ、シュメールより来たる人類最古の英雄王の逸話は全ての伝説の祖よ、それを聞かずしてどうするのだ」
アーチャーは振り返らずに眉間に皺を寄せ、
「来たな、馬鹿どもがっ・・・」
声は冷たいが湯飲みは軋んでいる。
「ともかくだ、ここは先輩に譲れよアーチャー。お前の説教臭い話より、まずは俺の景気の良い・・・そうだなぁ、牛争いの話なんかどうだ?」
その戦で死ぬ羽目になった当人から聞けというのか光の御子。
「ふん、たかが二・三千人一人で相手をしたところでどうだというのだ。ここは我のフンババ狩りの顛末を、我が自ら語ってやろう。身の程に釣り合わぬ光栄と心得よ」
嫌がるエンキドゥひきずっていったくせに英雄王。
たとえ自らの運命を呪おうとも、同時に誇りをも持つものこそ英霊となる。三人とも笑っているが、引くはずなどあるわけがなく。
「・・・」
アーチャーは語らず、黙って武装した。
「・・・ま、こーなったらしょうがないわな」
「ふ、下らんことこの上ないが、付き合わんでも無い」


士郎は英霊達のこういう馬鹿さが、嫌いではなかった。
だから皆、英雄なんかになっちゃったんだろう。


「家の中庭って魔法でもかかってんのかなぁ?色々あるけど結構平気だよな」
赤・黄・青の信号三英霊は、士郎からしてみれば踊るようにすらみえる身軽さで中庭を飛び回っている。
三人とも頑張って欲しいけれど、やっぱり俺の贔屓はアーチャーかな、と士郎は思った、同じ凡人代表として、永遠の憧れとして。
アーチャーは神の子達に一歩も引かず渡り合っている。
「アーチャー格好いい〜・・・」


うららかな午後のひととき、
テレビからは軽快なリズムが、また聞こえて来はじめている。



アルバイト

ああもう、ホント、頼むから。


スポンジ・ヘラ・あいつの顔
「衛宮士郎」
スポンジ・ヘラ…あ、取れてない…スポンジ・ヘラ・またあいつの顔
「…衛宮士郎」
スポンジ・ヘラ・あいつの顔・一つ下の階へ、金具をゆるめて…
「…衛宮士郎!!」
「…怒鳴るなアーチャー、ホントに落ちるぞ」
その一言で、アーチャーは黙った。
ワイヤーを動かして一つ下へ降りる。
「何故こんなバイトを…」
「食費」
「……」
ひゅぅぅぅぅと風が吹く、ここは地上36メートル地点。


ビル管理会社、窓清掃は割が良い。


「凛とセイバーをお前が食わせる理由はない」
「そのセリフ当人の前で言えるってんならやめてやる」
「……」
沈黙の正直さが今はホントにむかつく。
まぁ気を取り直して…
スポンジで磨いて・ヘラで水気を切って・そして…

「…なぁアーチャー…」
「なんだ?」
「いや…その…なんでもない」
スポンジ・ヘラ・そして…


磨いた窓ガラスに映る、なんて心配そうな、顔。





敬老の日

「おーい、アーチャー」
「なんだ・・・これは?」
「ん、欲しがってただろ、クッキー型セット」
「・・・だからなぜ急に」
「ほら、だって、今日・・・」
「・・・歯を食いしばれ」


敬老の日




Pain

いかなければ、わ、わ…たし…は、
…いか…な、け…れば、

痛覚は冗談のようにそのままに、私は私を壊すように、一本、一本ゆっくりと。

わ…たしは、いか…なければ、なら…な…い、
いかなければ、い…か…

泥人形を針の芯で支えている様なものなのかもしれない、全て抜けば崩れて、血が、神経が、臓物が、溢れるのかもしれない。
けれど抜かなければ、ここから動けない、ここから動けない私など、いらない。

がちゃん…と、突き刺さった剣が床に落ちる音、…まだある、のろのろと手を伸ばす。
生きている痛覚が、焼き切れそうなのだろう、熱く…あつく…

行ったところで動けますか?この体は、使い物になりますか?
ここで崩れて終わりですか?私は負けたままですか?

『お前は…!!』

がちゃん…と、
また、一本、抜く。

『お前は絶対ーーーー!!』

がちゃん…

ああ…私は、大きな悲しみを知っていた、深い痛みを背負っていた。

だからなんだと怒鳴られた、理想の為に死ねと、泣き叫んで這い蹲りながら、何もせずにただ逃げ回るばかりの人間を守れと。
そうするために生まれたんだ、それ以外なんていらない、そんな自分は認めない、泣き言なんか言ってる暇があるならとっとと帰って人類救え。
と…

手に入れた物と引き替えに忘れたモノ、後悔は許さないとお前が叫ぶのなら、
この痛みは私の望み、世界の果てまで私を誘う剣の音。

「…私は行かなければ」

がちゃん…

行ったところで動けますか?この体は、使い物になりますか?
ここで崩れて終わりですか?私は負けたままですか?

「…冗談ではない」

こんなものは痛みのうちに入らない、痛みとは、己が己に与える以外に、私には存在しない。
こんなものには耐えられる、ただ死ぬだけの痛みになんて、そんなものなんて。

が…ちゃん

未来永劫の痛みを、今まさに受け入れた私に、もう恐れるものなどなにもない。

がちゃん…

てのひらを滑っていく血にまみれた白銀の輝き。
半時ほど前に見た、少年の驚いた顔をそこに幻視する。

知らず笑みがこぼれた。





リボン

「えー…ともかく、事情を話すから聞け、衛宮士郎」
「やだ」
「それは…っってこら!受話器を上げるな、どこに掛ける気だ!やめろ!」


エビフライのごとく、聖骸布でぐるぐる巻きのアーチャーが叫ぶ。


「ほほー、公園で募金を呼びかけるカレンに募金がてら声をかけたら巻かれてウチに放り込まれたと?」
「そのとおりだ、一体何がなにやら…」
「お前さ、なんつって募金したの?」
「む…クリスマスなのに、わざわざ一人で感心だな、と…」
「……」
「……」
「まずかったか…?」
「大マズだ、馬鹿」
クリスマスを意識してか、結び目はきれいなリボンの形だ。引いてもねじっても解けないが。
「むー、とれないぞアーチャー」
「貴様が不器用だからだ」
「んな偉そうな口利ける立場かよ、やっぱり遠坂に連絡したっていいんだぞ」
そういうとアーチャーは黙る、この姿をさらすのは相当嫌らしい。
「誰もいないんだろうな…?」
「いないよ、今年はパーティー25日にずらしたから、みんな今頃は募金の手伝いだ」
「……」
アーチャーが青くなったのは、一時でも遅く募金していたら皆の前でこの醜態をさらす羽目になっていたことに気がついたからだろう。
「あー、もう!全然解けない!」
苛立って手を離し、芋虫様にもぞもぞするアーチャーをつつく。
「こら、何をする!」
口ばっかりでなにもしな…って、あ、そっか、できないんだった。
つつく場所によってはくすぐったいのか、結構必死に逃げるので、面白くなってしまった。
「やめろ!からかうな!」
「あはは、面白いってアーチャー」
つんつんとつつき続けていたら、仰向けのまま動けなくなってしまった。
そのまま仏頂面で黙り込んだので、さらに愉快な様を呈している。
「あははは!もう…おもしろいなアーチャー」
「…今に見ていろ、衛宮士郎」
「あはは…それ、霊体化すれば抜け出せたりしてなーー…」
「……」
「……」

口は禍の元。

アーチャーは、きれいにラッピングした士郎をクリスマスの収穫として、意気揚々と帰っていった。
メリークリスマス!





穏やかに時が過ぎる、午後の診察時間は三時まで。
一時間お茶をして、次は村内の回診。
三つの村にたった一つの診療所。
そこに赤毛で小柄で元気いっぱいのなりたて医師と、大柄で無愛想な連れが赴任してきてからそろそろ半年になる。


医者と患者と


「んん…」
最後の患者の処方を書き終わった頃にはもう三時半過ぎだった。
慌てて、データを町の薬局に送信。こうすると患者の家に薬が届く。
「使い勝手は?」
「いいよ、アーチャー。カルテのデータ化、任せっぱなしでごめんな」
ぽんと回診の為の道具を詰めたカバンを机に出し一度引っ込むと、耐熱ガラスのポットに琥珀色の液体を揺らしてやってくる。
「…今日は何?」
「葛木さんの奥さんからいただいたドクダミだ」
「うう…またいらないものが混じってるんじゃないだろうな」
「今回は私がより分けた」
分校教師のそそっかしい奥方の茶に当たり、赴任早々ドクターが診療所を三日間閉めた。
今はもう笑い話だが、張り切っていた士郎の受けたトラウマは今でもなかなかに深い。
「色々あったなぁ…ここに来てもう半年か」
「ああ…」


”半年”


一年の半分。
区切りの日付にまだ遠く、思い出せばはっきりと痛む。
将来を嘱望されたインターンと、エリート医師の出会いと…そして事故と。
「腕…」
「ああ」
アーチャーがシャツの…だらりと垂れた左袖をいつものように乱暴に引っ張ろうとするのを止めて、シャツのボタンを一つずつはずす。
一つはずすごとに、まだ、この胸は痛むのだ。
黙って、指先の小さなボタンを睨みつける士郎の赤毛を、アーチャーはぐしゃぐしゃとかき回した。
「もう、忘れていい」
「……」
「私などには充分すぎる、お前の献身は」
引き締まった肩口からシャツを下ろせば、現れる傷。
失った左腕と引き換えに手に入れた、やさしいまだ若い医者の命。
それで充分だと、アーチャーは思っていた。
「ダメだ、忘れない」
胸の痛みごと感傷を、ねじ伏せて彼は傷に手を伸ばす。
「引きつる感じとか、痛みは?」
「昼間は無いな…時々夜に疼く」
「そっか…内服はもう出さないほうがいいと思うから軟膏にしとくよ」
そう呟いて、こつんと晒された胸に額を付けた。
「…アーチャー」
「言うな、私は幸せだ」
そう言われればもう何も言えず。
黙った士郎の頭をまたかき回してやる。
彼は残った右腕を、このために使うと決めてしまっている。
「時間だぞ、士郎」
「うん」
四時からは、村内の回診時間。


ガラス戸の外はもう木枯らしの季節。
この村に来てから、鍵をかける習慣がなくなりそうになってしまっている。いけないいけないと、言い聞かせて士郎は南京錠をかける。
「冷えるな…痛まないか?」
「いいや」
アーチャーが屈んだので、士郎は目を閉じた。


あれから半年。
キスはまだほんの少し切ない。





夢の残り。


○○○と○○と


ドンと出し抜けに衝撃。
天井裏からぱらぱらと音がし、細かな埃が降ってきたので、士郎は慌てて天ぷらの衣が入ったボウルを布巾で覆った。
「何…」
ドロボウ?でも、士郎の家にはお金になるものなんか無い。士郎が大人になるまで、隣の藤村さんに預けてある。
でも士郎の家はじいさんの残してくれた立派な武家屋敷だから、お金があると間違われることもあるかもしれない。現にセールスは多いし。
「110番?」
でも、もしも何かの間違いだったらご近所さんに迷惑だ。子供の一人暮らしだから、ただでさえ気を使われているのに。
天井を見上げてみるけれど、さっきの大きな音からそれっきりうんともすんとも言わない。
「…ちょっとだけ」
庭に出て、様子を確認してから藤村さん家に行こう。
そう思ってこっそり庭に出た士郎は、屋根の上に変なのを見つけた。


「誰だよお前」
なるべく怖がってないように…でも内心はびくびくもので、士郎は屋根にどっしり座り込んだそれに声をかけた。
それは、人ん家の屋根に勝手に乗っかってるにしてはふてぶてしく、ゆっくり振り向いた。
「…なんだ、子供か」
「なんだとはなんだ、お前こんなとこでさぼってていいのか」
「何の話だ」
怪訝な顔をした男に、士郎は菜箸を突きつけ。
「だって、お前サンタクロースだろう」
…時は奇しくもクリスマスイブ。
そして、屋根の上の不審者は赤ずくめに白い房の紐に髪も白い。
髭が無いし、若いみたいだけれど、サンタは実はいっぱいいると昨日テレビで見たし、きっとなりたてなんだ、だからトナカイのソリから落っこちたんだ。
実に見事な推理を組み立てた士郎に、男は目を見張り。
「よくわかったな…!」


どうやら当りの様だった。


満天の星の下。
「なんでこんなとこでサボってるんだよ、仕事しろよ」
「…トナカイから落ちたんだ」
「やっぱり落ちたんだ?でも乗りなおせばいいだろ」
サンタはため息をつき。
「私はもうソリに乗れんのだ…サンタの資格が無くなったからな」
士郎は目を丸くした、確かに昨日のテレビもサンタには資格があるって言ってた、あのテレビ、凄い。
「免許不携帯なのか?」
「ソリの免許ならある…無くしたのはサンタの資格だ」
「サンタの資格…」
「私はもうサンタになって随分経つ、しかし年々理想と現実のギャップに気がついてな…何故昔の自分が子供にプレゼントを配ろうと思ったのか、その気持ちを忘れてしまったんだ」
「……」
それは士郎にはとても難しい話だった。
「楽しいとか、嬉しいとかじゃないのか?」
「理屈ではそうなのだろうが、最早私にはその実感が無い…そんな人間にサンタは務まらん。資格の剥奪は妥当だ」
士郎にはよくわからない、でも、元サンタは凄く…悲しそうだった。
「なぁ…じゃあお前行くとこないの?」
「ああ、プレゼントはきっと新人が代わりに届けてくれるだろうが、私は今までサンタ一本で暮らしてきたからな、再就職先があるかどうか…」
「じゃあさぁ、家に来たっていいぞ」
元サンタは驚いた様子で、しげしげと士郎を見つめた。士郎はもじもじしながら。
「か、家事とか分担するんだ、それで、お前は俺の兄ちゃんになるんだ」
「しかし…」
「うち、じいさん死んじゃってから俺一人だから、今年はサンタに家族が欲しいって頼んだんだ」
「……なっ!!」
「どうしたんだ?」
「……なんでも…ない」


『最後の仕事だ行って来い』
そういって元サンタをソリから蹴り落とした極悪黒サンタ。
”最後の仕事”のその意味は。


「やっぱりダメか?」
「…いや、君がいいといってくれるなら厄介になりたい」
「…!」
ぱぁっと、士郎の顔が輝いた瞬間、元サンタは何か懐かしいものがこみ上げるのを感じた。
「じゃあ天ぷら揚げるの手伝って」
「ああ」
久しぶりに笑ってうなずいて、元サンタ現士郎の兄貴は、一番初めの仕事に、士郎に自分のコートを掛けてやった。


次の日、夢じゃないよなと朝一番に走ってきた士郎に、元サンタは名前を教えてくれた。
元サンタはアーチャーといって、今日から士郎の兄さんだ。





「なんでのこのこ来てるんだよ馬鹿」
土蔵の明かり取りから差す光が、いつかと同じに騎士を縁取った。
「なんで…今更…俺、やっと…」
嗚咽はみっともないと、心のどこかが呟いたけれど止められなかった。
何もかもが、男の影が伝わる気配が纏う空気さえもが、懐かしくて俺を泣かせた。
「俺、壊すのに…みんなが居て、お前が居る世界…壊すのに…」
しゃくり上げて上下する肩を、ぎゅうと抱いて黙らせようとしたけど無駄だった。
「こんなの…駄目なのに…知ってるの俺だけなのに…お前が居たんじゃ…」
膝が崩れそうだ。
「またかよ…また…選んで…」
無いに等しい選択肢、二つの内一つを取ればお前を失い、もう一つを取ればもう二度とお前に姿を晒す資格を失う。
引き裂かれるような。
「馬鹿…野郎…」
躊躇う気配の後に、懐かしい、大きな手のひらが肩を抱き、その纏う匂いが包んだ。
まるでいつかの夜のように。


ファンタズム


泣きながら抱かれていた。
あの夜も、そしてこの夜も。
「う…うう…」
熱が浸みて、想いが沁みる、それが辛くて泣きじゃくる。
「ばか…ばか…」
爪を立てて縋り付く。存在が確かに感じられるほど、それを失うと定まった未来が打ちのめす。
悲しくて悲しくてまた泣けてくる。
「お前は…泣いてばかりいる…」
「当たり…前だ…ばっ…かぁ…」
「馬鹿…か…」
「ばか…ばか…ばかぁ…」


なんで?どうして?またここに?
ここでさえなければ、ここでない場所ここでない時、無限に広がる選択肢の中から俺たち二人は選んでしまった。


『アーチャー…生きて…』
『ああ…だがな、存在を保つのには魔力がもう少々といったところだ』
『……』
『私が今夜ここに来た、その意味が、お前なら分かるだろう?衛宮士郎』


そう言って嵐みたいに俺を抱いた男。
そして何にも言わずに消えた男。
その意味を俺は聞けなかった、聞けるはずがなかった。
行ってしまって二度と戻らない男に、尋ねる事なんて何もなかった。
ただ悲しくて悲しくて泣いていた。


そしてまた俺は、独り残る朝を思い、泣きながらお前に抱かれてる。


「ばか…ばぁ…かぁ…」
「ああ…そうだな…私も…」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、舐めながら
「おまえも…」


中空の月が明かり取りから覗けるのも、それをこうしてマットに転がって見上げているのも。
男が俺の髪を梳いてるのも、外套が俺に掛けられてるのも、何一つ変わらない。
「なぁ…」
「…なんだ?」
こうして、
「…何でもない」
尋ねかけてやめるのも、
「…そうか」
男がそれを責めないのも、
何一つ悲しいほど変わらず。

愛しくて愛しくて、切なくて切なくて、ただ男の手を握った。
それさえも、いつかの夜と何も変わらなかった。


そしてまた、別れの夜が明ける。





狂おしいほどの嫉妬と羨望は、むしろ悲しみと切なさで胸をいっぱいにした。
君は知らないけれど、絶対に知るはずもないけれど、かつて君は俺に言ったんだ「正義の味方になんてなるな」って。
俺はそれを破って今ここにいる。
今、正義の味方をやめた君を、憎みこそしないけれど、やはりかつて憧れた”君であって俺であってそしてどちらでもなかった彼”を失う様な気がしてはいるんだ。
だから、どうかせめてこの腕を君に、剣のように生きた男がいたことを君は知らないけれど。


少年は浅い息をしている。
溶けた左腕の傷は惨いの一言。
それをじっと、忘れないように網膜に焼いた。
「馬鹿だな私は…」
大切な物を選べなかった。こいつと違う俺は、何も選べず選ばず。
「憧れてばかりだ、そして何一つ…得られない」
かつて憧れた全ての物に、手を伸ばして、掴もうと、必死になって、そして…
「あいつは言ったのにな…」
私のようにはなってくれるなと、逝った騎士の真意を悟ったのは何時だったか。
肌が染まり、髪の色が抜け…それでも気が付かなかった。そんなことで折れるような理想でもなく。
「そうだったな…あれは…」


気が付いたのは、初めて後悔した瞬間だった…。


馬鹿な私は、かつて彼に抱いたのと同じ憧憬を今のお前に抱いている。
理想の選択、その果てに居た彼と、私に出来なかった選択をしたお前に、同じくらい憧れている。
なぜ自分には出来なかったのか、気が付かなかったのか、気付くチャンスを与えられなかったのか。
そんなことは…
「考えても、仕方ないな…」


お前は、イリヤを守った。そして桜を守るのだという。何一つ見限らず、何一つ切り捨てないのだという。
「それこそが…」
そうだそれこそが…
「俺の…」


私をかたちづくった理想、そのものではなかったのか。


「施術の準備は整ったぞ」
「ああ、いつでも構わない」
「…アインツベルンの娘がお前のことを気にしていた」
「だからなんだと言うんだ、会う必要はない」
「そうか」


幾星霜を経て、それでも相対すれば戦慄を禁じ得ない存在である真黒な男は嗤った。
「面白いものだな、運命とは」
「ああ…」
私も哄笑った。
「神父、お前もじきに実感することになる、楽しみにしておけ」
こいつはどの世界でも、衛宮士郎に立ちふさがり、そして打ち倒されるとさだめられた、運命の存在だ。
どの地獄でも、こいつの色は黒から変わらない。だから大切なのは、打ち倒し生き続けることをさだめられた彼の色。


「さぁ、さっさと持って行け…」


憧れに何一つ届かずに、無様に朽ちてゆくだけだけれど、かつて憧れた存在があった。
剣のように生きた男がいた。
君はその男を裏切った、だからこそ、どうか知っていてくれ、剣のように生きた男がいたことを。


「おさらばだ」


少年は目覚め、生きる。
生きるために背負った腕は重く、時に引きずり時に痛み。
それでもそれ無しでは生きていられず…


まるで、理想を抱えて朽ちることを選んだ、男に似ていた。





水風呂

重い物が崩れる音がした。
聞き覚えのある嫌な嫌な音、皿を放り出して廊下に出ると、西日の差している座敷に転がる塊。
「おい…」
多少焦って声を掛けた。38度、最高気温更新中なので、熱中症もあり得たからだ。
「アーチャー…」
「どうした、気分が悪いのか?」
「なんかくらっとして…」
間違いないだろう、けれど大事では無くてよかった。

抱え上げて風呂場に急ぐ。
服を脱がせるのももどかしく、ぬるいシャワーを頭から浴びせると微かに身じろぎをする。
「頭痛はしないか?」
「ああ」
いつもより細い声が嫌だった。
頭を冷やしながら髪をかき上げると熱い。
「ここ二・三日随分気温が高いからな…今度から気をつけろ」
するとなぜか怯えたように顔を上げ、すぐに伏せた。
水音に消されそうな、細い声が、
「なんていうか…暑かったせいっていうより…」
途切れてしまう、小さな小さな呟き。
「今日、夕日赤すぎるだろ?」

遠い遠い過去が呼ぶ声がした。
手招きにくらりと揺れた。
連れて行かないで、今は、悲しむ人がいるから。

細く白く、頼りない身体を水が滑り落ちていく。
無言の中、シャワーの音がゆっくり満ちてゆく。
「…ごめん」
「いや」

項垂れた頭を起こさせて、身体を冷やした。
台所で水を飲ませ、風通しの良い部屋に寝かせる。
幸い、もう陽は落ちていた。

薄い黄昏の中で横になる姿は妙に儚くて、手を握った。
「どこにも行くな、ここにいろ」
私がそう言うと、微かに笑った。
「それ、いつも俺が言ってるよな」
そして、瞳を閉じた。
「俺も行きたくない…まだ行きたくない、アーチャー」

いつかあの丘に行くというのか?
小さな手のひらで何をすくう。
背負いきれない重みはお前を潰しにかかるんだ。

「…もう寝ろ、私はここにいる、お前はどこにもいかせない」
やがて握る手のひらの力が抜ける。
それも嫌な感覚で、思わず胸の上下を確かめた。
ぬくもりを確かめて、その胸に額を落とす、声に出さない祈りを今だけ。
「どこにも行くな…」

こうして見送る立場になって初めて知る、頼りない背中を見つめるしかない悔しさを。
どうか、今はまだ、ここにいて欲しい。





恋に効く

「指を一本貸したまえ」
む…
「なんで、指…」
「いいから」
少し悩んで左手を差し出すと、にやっと笑って薬指を選んだ。
こいつ本当にどーしよーもない。
「なにすんだよ」
「知っているだろうが、私は重度の恋煩いでね、動悸息切れ目眩に悩まされているのだよ」
「嫌味嘲笑すぐに手が出るの間違いだろ、あれが愛情表現とかお前マジで摩耗末期」
そうは言い返すんだけど、左手の薬指一本人質に取られてて身体を引けない。
大人のくせに馬鹿なことばっかりいう馬鹿は、珍しくもない薬指をそっと摘んで眺めている。
「全く、荒れ放題だな、尿素配合だコエンザイムQ10だ」
「女の子じゃあるまいし、洗い物したらすぐ落ちるだろ…つーか放せ、いい加減放せ」
軽く暴れると、意地悪そうにすっと目を細めて口元を歪める。
うああ、こいつ本当性格ひん曲がりすぎ!
「やだやだお前みたいなのは今すぐ帰れ座に帰れ!」
「そうケチなことを言うな、たかが指一本だろう減るわけでも無し」
お前は笑顔で食いちぎりそうだと、言った途端に食いちぎられそうだったので黙る。

「さて、よく目を開いて見ておきたまえ、薬指は恋に効く」

ぎょっとして手を引いたけど一瞬遅く、俺の左手の薬指は…アーチャーの口腔に消えた。
ぬるりと生暖かい粘膜に包まれ、爪と皮膚の間を舌の先で擽られ、
そして、笑みの形に歪んだ瞳で、こちらの表情を伺っている。
カァッと、顔が火照る。

ああ、もう、最悪だ、なんてこと。
薬指を伝わって、びりびりちりちり、これは間違いなく、感染った。

「ばか…」
恋煩い、薬指を媒介に感染、動悸息切れ目眩の兆し有り。
「くそ…」

ひちゃと音がした、胸を押されあっさり畳に倒される。

確かに、
薬指は恋に効く。





昔話をしよう

すれ違った瞬間に時が止まるような、その一角だけが切り取られたように色鮮やかなような、
そんな恋をした、今はもう昔の話だけれど。

雨の音は障子を通して微かに響いている、転がって蛍光灯で目を焼く、
昔の恋の話を聞いている、余り長生きをせずに死んでしまった男から。
「ふーん…そうだったんだ」
生返事を返しても気がつかないほどには熱心に話している…つまり、この男にしては異常なくらい熱心に。
「へー…」
自分からねだっておいて随分な態度だな、でもいいさ、こういう話に対するリアクションなんてこんなもんで。

本当は、
そんなもんないと、言って怒って終わりにして欲しくってねだった。

「うんうん…」

時間が柱時計の音と同じ速度で流れて行くよ、雨の匂いがする。
ずっと昔でずっと未来の、俺の知らない恋の話。

すれ違った瞬間に時が止まるような、その一角だけが切り取られたように色鮮やかなような、
そんな恋なら俺だって今しているよ。

ごろりと転がって、話し続ける男の顔を見たら、ほんの少し赤くて嫌だった。
俺はまだあんな顔をさせる自信がない。





つれていく

「さようなら」
囁いた、耳元、血のにおい。

君と同じ地獄に行けないから、せめて終わりまで抱きしめていようと思う。

何のつもりだったのかは知らない、ただ彼女はこいつを俺に遣わした。
今頃はきっと、優しい姉に叱られている。
だから、もう心は前にしか向かない、ほんの少し闇色を溶かした深紅の外套は血の色と同じ色。
同じ匂い。
瞳が妙に、白々と輝いていた。

「…士郎」

ああ、今更そう呼ばれるのか。
左腕の疼き、一度お前に生かされた命だから、もうこれでいいのかも知れない。
俺はもう正義の味方になれない。
なんにもなれない。

とんと間合いを、詰められた刹那に、両手の剣を


消す。


驚いて一瞬見開かれた瞳と、違わず俺の腹を抉った大好きなその双剣と、
俺が解いた聖骸布が血糊と一緒に舞う。

ああ違わず、俺の腹から突き出た不細工な刃はアーチャーを抉った。
「あ…」
耳元で漏れた吐息は意外に可愛らしい響き。

ぎゅうっ、と愛しさの任せるままに抱き寄せる。


「さようなら」
囁いた、耳元、血のにおい。

君と同じ地獄に行けないから、せめて終わりまで抱きしめていようと思った。









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