降り初め



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「そういうのはさぁ、マジやめたほうがいいよ?衛宮」
慎二はそう言って、俺の手から傘をもぎ取った。
「やさしさってのは悪じゃないけど罪だぜ、正義の味方」
ああ、そうだな慎二、その通り。
罪の贖いを求められて、俺は独り立ち尽くす。


ああ・・・雨がやまない。


それはなんでもないこと。
アーチャーが包丁取り落とした、俺は拾って差し出した。
なかなか受け取ろうとしないから、どうしたのかと顔を覗いた、ら
「・・・・・」
目をほんの少し見開いてーーこの男は酷く動揺するといつもこの顔だーー俺の手を凝視していた。
あんまり真剣だから、ああ別に俺の手を見ているわけじゃないのだとわかった。
余りにも何かを思いつめている・・・何を?
「アーチャー・・・?」
しばらく見守ってから恐る恐る声をかけると。はっと息を呑んで我に返った。
「ほら、包丁」
「あ・・・ああ、すまん。手が滑った」
「珍しいな、お前が台所で粗相するなんてさ」
白けた空気を拭おうと、からかい調子に言ったのに
「・・・・そう、だな」
「・・・?」
妙に深刻な様子で、黙って流しに向かってしまった。
話しかけるタイミングを失って、俺も仕方なく黙り込む。
(何を考えているんだろう・・・)
そう思ったけれど口には出せずに、ちらちらと横顔を盗み見てた。
一緒に暮らし始めて一月ほど、やっと少しだけ打ち解けてきた頃のこと。


「あ、雨だぜ、衛宮」
「嘘。うわ、家につくまでもつと思ったのに」
「俺が傘を持っている・・・狭くてすまんな」
「男三人で相傘なんて寒いなぁ・・・」
「だったら間桐は入らんでいい」
「うそうそ、冷たいこと言うなよ柳洞。それより衛宮、いいのか?お前布団干してきたんだろ」
「ああ、最近は家に人がいるから・・・」


あれから随分経って、そろそろ雨の多い季節に差し掛かっている。
以前は朝の天気予報が外れようものなら、予報士を絞め殺してやりたい衝動に駆られたものだが今年からはそうでもない。
守護者を一時休業して、現在暫定衛宮家ハウスキーパーと化しているアーチャーのおかげで、精神衛生面が大幅に改善された梅雨を迎えている俺。
礼を言えば「身に覚えの無い謝辞は迷惑だ」と返されるのがお決まりだが、それでもしつこく言い続 けている。


「ただいま」
叩きで靴を脱ぎながら、返事が返らないことをおやと思った。
アーチャーが居るなら必ず返事は返ってくる。
出かけてるのか?でも庭の布団は取り込んであったし・・・。
茶の間、台所、勝手口、座敷、応接間、風呂場、俺の部屋・・・終いにボイラー室まで覗いたが 姿が無い。
「んー・・・」
後は・・・


しとしとと雨が降り続いている。
水没しかけている渡り廊下を渡り、やっと見つけた。
「アーチャー、ここかよ」
紺の胴着と袴がたまに洗濯に出ていたから、道場を使っているのは知っていたが、実際にその様 子を見たのは初めてだ。
きりりと美しい、完璧な構えで竹刀を正眼に構えて微動だにしない。
振り回す必要はないのだろう、それはアーチャーの頭の中で再現されている。
こいつはいつだって俺の理想型、それは仕方の無いこと。ああ、でもやっぱり少しくやしくて、それでも目が離せない。
見蕩れていた、絶対口にはしないけれど。
しとしとと雨音が、静けさを埋めている。
「・・・・・っ」
息を静かに吐き出して、やっとこちらに戻ってきたアーチャーがじろりと俺を見た。
「ただいま」
露骨に馬鹿にした表情をする
「おかえり・・・。まさかそれを言うためにわざわざ来たのか?」
「そうだけど、なんか悪いかよ」
「ふん、暇だな。私が家事を引き受けるいわれは本来無いぞ」
標準装備の嫌味はスルー 。
「ああ、布団取り込んでてくれただろ。ありがとな」
「身に覚えの無い謝辞は迷惑だ」
いつものやりとりが続く 。
「道場使ってんのな、知ってたけど見たのは初めてだったからさ」
そう言うと、何故か目を逸らした 。
「・・・土蔵も時々使っている」
「え、本当か?俺知らないぞ」
「貴様と鉢合わせなど御免だからな。家事は使用料だと思え、礼はいらん」
なんだ、そういうつもりだったのか 。
「別に俺、使用料なんか取るつもり無いぞ」
「私の気が済むか済まないかの問題だ」
律儀というか、固いというか。まぁ、もらえるもんはもらっとく 。
「・・・それならさ、お前の修練見せろよ、見学させろ」
そう言ったら、迷惑そうな顔をした 。
「断る、集中が乱れる」
「なんだよー、俺に見られてるくらいで乱れる集中ってどうだよ、サーヴァントとして」
軽口のつもりだった、のに 、
「・・・・・」
「どうした?」
アーチャ−は黙り込んだ 。
「アーチャー?」
あ、俺、また、失敗した?
奇妙な感覚がじんわりと頭から降りてきた 。
ああ・・・既視感だ。こんなことがあった、そう昔じゃない・・・
気まずい空気に、また俺は口を開く 。
「お前の型、やっぱり綺麗だからさ、見てたいんだけど、駄目か?」
「綺麗・・・か」
口に手をやりながら、噛み締めるように呟く。俺には意味が分からない 。
「う、うん、綺麗で、やっぱりおれのりそ・・・」
「本当にそうか?」
「え・・・」
「本当に私は変わらないか?聖杯戦争の頃と、初めて出会った時と」
「アーチャー・・・」
答えようとして息が詰まった 。
覗いた瞳の深い深い・・・・
やばい 。
「っ・・・・」 絡め取られて引きずり込まれる、瞳と、腕に 。
「俺は本当にっ・・・!」
皆まで言う前に口を塞がれる 。
まるで何も聞きたくないみたいに 。


(ああ・・・雨が降ってる・・・)
身体の占有権を一時放棄、被さってる男に渡す。
頭の中身だけが今俺のもの、けれど思考に集中するには過酷なコンディション。
学ランまだ脱いでないのに、ここ道場で、今昼なのに。
最近こういうことが多い、理由の無いセックス、魔力は足りてるはず。
確かに悪くは無いけど、所詮俺はこいつに惚れてるわけで。
「ふ・・・あ・・・」
ああ、やばい、そろそろ頭まで熱が上ってきた。頭の中身まで奪われて、考え事はもう出来ない。
「んん・・・」
はだけられた胸の上で揺れてる髪を掴んだら、顔を上げたから目が合った。
ああ、そっか、気になってるのはその目。
なぁ、人のこと抱くたびに、なんでそんな顔すんの。そんなお前らしくない、そんな・・・
そんな心細そうな目を 。


胡乱な頭に雨音が響く 。
冷たい雨が、降り始めてる・・・




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本降り





傘を持って雨の中立っている。
立ちつくしている。
お前が目の前にいる、濡れながら彼方を見つめて。

傘を、

いつかのように傘を差しだそうとした俺の手を、慎二が掴む。

「慎…」
「言っただろ、衛宮。それはやめろって」
慎二?

「可哀想に、もうそいつは一人じゃ生きていけなくなっちゃったよ」


「…ァ…ァアァッッ!!」
自分の叫び声で目が覚めた。
「ァ…あ…」
一瞬で完全に覚醒する。
クリアな思考、さっきまでのが夢、今この状況が現実。
胸がおかしいくらいひゅうひゅうと鳴っていた。
明け方近く。
この時刻に見る夢は、夢じゃなくて現実の延長だ。
「……」
あの夢は。
あんなことがあっただろうか、そして何故、今になって思い出すんだろうか。
しばらく記憶の底を攫ったが、詳しいことはまるで思い出せない。
「おい」
出し抜けに声をかけられ、内心の動揺に肩がびくりと震えてしまった。
「何をそんなに驚いている?」
「い、いや、起きてると思わなかったんだよ…おはようアーチャー」
襖の向こうに立った男は怪訝そうに俺の顔を見つめた。
「ふん、まぁいい。今朝は食事の支度は私にやらせろ」
「へ、なんでだよ?」
アーチャーは、家に俺が居る限り家事には必要最低限しかタッチしない。
この家はあくまで俺の家であって、自分の家では無いと言いたいらしい。
「今朝は早く目が覚めたというだけの理由だ」
「そっか、別に構わないぞ、エプロンは俺の使えよ」
まぁちょっとサイズが小さいかも知れないけど、と親切で言ってやったって言うのに、
「お前の未熟な料理にも、正直飽きていたところだからな」
嫌みったらしく言い置いて行くのだった。


その日、慎二が珍しく一人で校門を出るのを見かけて、俺は声をかけた。
「よ、慎二」
「なんだ、衛宮か」
校門を出てしばらくは他愛もない話、そして俺は切り出した。
「雨の日?」
「そう、雨の日にお前と帰った事あったかな」
「…って言われてもねぇ」
慎二は考え込む。
それはそうだろう、慎二とは中学の頃からの付き合いだから、雨の日に共に下校した事はいくらもある。
「今朝夢に見てさ」
「夢にね…」
しばらく空を見つめた後、慎二は「あぁ…」と声を上げた。
「雨の日に帰ったことは何度もある…けど僕が憶えてるのは一回だけ」
「いつだよ?」
「いつって言うか…それより衛宮、お前こそ憶えてないのか?」
尋ね返されたが、記憶にないものはしょうがない。
「なんだ…衛宮って意外と薄情なんだね」
「なんだよ」
「憶えてないのかい、自分が犬拾おうとしてたこと」


ーーー「やさしさってのは悪じゃないけど罪だぜ、正義の味方」 ーーー


「…あ」
それは慎二の声。
そして雨の日のこと。
「あの日は一緒に帰ったんじゃなくて、先に帰ってた衛宮を僕が見つけたんだよ」
そう、俺は洗濯物が気になって、あの頃はまだ家に人はいなくて、急いでいて…
そして、見つけた。
「衛宮さ、捨ててあった犬見つけて、自分の傘置いていこうとしてただろ」
そうだそして…
「傘、お前が…」
「そうさ、僕は今でもそう思ってるよ、最後まで責任取れないなら優しくなんかするべきじゃないだろ、あの犬に衛宮しかいなかったならなおさらさ」


そしてじゃあなと手を振って、慎二は振り返らずに道を曲がっていった。
後には俺が一人。
いつかの雨の日みたいに。


「…ただいま」
叩きからそう声をかけたが、昨日のように声は返らなかった。
靴はあるからきっと道場だ。
でも、今日は見に行く気がしなかった。
部屋に戻って着替え、しばらく迷ったけれど居間に行ってお茶を入れた。
新聞を広げていると、廊下を音無く歩いてアーチャーが現れる、やはり胴着。
「ただいま…」
アーチャーは俺の姿を見て驚いたようだった。
「…お帰り…いつ戻った」
「三十分くらい前だよ」
答えると一言「そうか」とだけ言って、着替えるためだろう風呂場の方に歩いていった。
俺はその後ろ姿を座ったまま見送って、しばらくまた新聞に集中しようとしたけれどやっぱり駄目だった。
仕方なしに風呂場に行く、着替え終えたアーチャーは風呂掃除をしようとしていた。
「悪いな」
「もののついでだ。何か用か?」
当然尋ねられて言葉に詰まる。
聞きたいことは確かにある、けれどそれは口に出してしまっていいことなのか。
(ーー「やさしさってのは…)
…慎二の声がする。
仕方なしに、他愛もない言葉を慎重に選んでゆく。
「いや、お前最近どうかなって」
「なんだそれは」
「馴染んだかってことだよ、こっちでの生活」
最初に比べて行動範囲も広がったように思えるし、俺も一緒にいて緊張することが無くなった。
近所の人としゃべることも多くなったし、時には一人で出かけていくこともある。
「…こちらでの生活か…ああ、大分慣れてきた」
「そか、それは…」
良かった、と続けようとして。
「貴様の気配に、同じ敷地内に居てさえ気がつかぬほどに、慣れはした」
ぞっとするほど抑揚無く、空虚な調子でそう言い捨てて、アーチャーは洗い場に消えた。


いつの間にかまた雨が降り始めていて、一人残された俺をその音だけが包んだ。


雨は夜通し降った。
その雨音に包まれて、また俺は夢を見た。
悪い夢。
雨音は夢の中まで追いかけてきて、俺を一人にした。


「…士郎!」
「…ァ!!」
じっとりと雨に濡れた悪夢から俺を引き上げたのはやはりアーチャーで、ほっとした一瞬後に、悲しくなった。
その俺の表情の変化をアーチャーは理解して、俺の肩を掴んでいた手のひらでそのまま頬を撫でた。
雨の匂いがする。
「…すまん、昼は下らない事を言った」
ああ、そう言えば夢…俺の夢をアーチャーが見ることがあるのだっけ。
俺はアーチャーの夢を見ないから意識したことがなかったけれど。
「悪いな、変なもの見せて」
「いや」
アーチャーは何か言いたそうにしたが、そのまま黙って俺を抱くと布団に入った。
「お前が寝たら戻る」
そうしてぎゅっと抱き込まれた。
このままずっとこうしていて欲しいと思った途端、雨の匂いがして瞳を閉じる。
もう悪夢は見なかったけれど、一晩中胸を占める雨の匂いに悩まされていた。




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「雨宿り」





あの夜から、ずっと雨の匂いに悩まされている。
季節はもう夏を迎えようとしているのに、俺はふとした瞬間に雨の匂いをかぐ。


「士郎、水羊羹まだ?」
「待てよ、麦茶も付けるから」
台所をひょいと覗いた遠坂は、涼しいガラスの器を見て喜んだ。
「器も冷やしてあるの?」
「ああ、こうすると温くなりにくいから」
それはアーチャーに教わったこと。
それを思うだけで俺は乾いた空気の中に雨の匂いをかぎ分ける。
「アーチャー、今日は居ないの?」
「ああ、新都に出かけてる」
「ふーん…」
遠坂は流しに寄りかかると、
「あいつが何してるか、分かるな、私」
そういって、ふふと笑った。
「行ったはいいけど、何をしようかって。きっと喫茶店か公園か」
「なんだよそれ、アーチャーはデパートで特別展示の絵を見に行くって…」
「それ、昨日で終わってるわよ」
茜色の夕日が台所の磨りガラスを通してボンヤリと満ちている。
遠坂は切ないものを見るように、俺に微笑んだ。
「…そんな」
「馬鹿よね、気を遣ってるつもりなのよ私とあんたに…本当に馬鹿」
「…遠坂」
遠坂は、俺の手から器をひょいと取り上げると。
「ほら、さっさと行きなさいよ、雨が降る…雨の匂いがするわ」
いつの間にか空気は酷く蒸していた。


気がつかなかったと言えば嘘になる、桜や遠坂が家にやってくると、アーチャーはいつの間にか席を外していた。
けれどどうすればいいのか、そもそもどうかしていいものかわからなかった。
この思いは。
今、傘を片手に夏の雨の降る中を走っている。
この胸をかき乱している思いは一生告げずに終わろうとあの雨の日に思った。
なら何を伝えればいいんだろう、この思い以外に何を。


夏の雨は優しくて、体が冷えることはない。
少し走り回った後に、アーチャーを見つけたのは公園だった。
ベンチに座ったアーチャーは傘を差していない。木陰だからか、でもそうじゃないのを俺は知ってた。
(「可哀想に、もうそいつは…)
声がする。
あれは俺の夢の中の慎二で、本当に慎二がそんなことを言ったんじゃない。
けれどだからこそ、あの夢は的確に現実を抉った。
一生側に居られるわけじゃない、いつか別れるときが来る。
ならば手を伸ばすな、知って奪われた優しさは、一生つきまとって苛むだろう。
けれど、
「アーチャー」
一度呼んでも顔を上げなかった。
「…アーチャー」
二度目に、アーチャーは顔を上げた。
「…お前、凛は」
「遠坂はもう帰った頃だと思う。アーチャー、帰ろう、家に」
俺は傘を差し出す。


「一緒に帰ろう、アーチャー」


アーチャーは立ち上がり、俺たちはとても恥ずかしいんだけれど男同士で相合い傘なんてして帰る羽目になった。
これはてんぱった俺が、傘を一本しか持ってこなかったせい。
身長からしたら、アーチャーに傘を持たせた方が二人ともずっと楽なのは分かってた。けれど俺が傘を差した。
夏とはいえ夕暮れで、人通りが少なかったのが唯一救いだった。
家に着くとさすがに薄暗かったものの、体を拭いても食事には少し早くて何となく部屋に戻る。
雨の音がする。
机に突っ伏していると、隣の部屋の襖が開いた音がした。
小さな足音布団を下ろす音、少し休むつもりなんだろうか。
襖に近づいたものの、開けるのを躊躇い、座ってそっと襖に寄りかかった。
ああ、雨の匂いがする。
いつか離さなければいけないとわかっている体をこんなに愛しく思うことは、きっと酷いことだ。
きっと。
「…アーチャー」
雨の音に紛らすつもりで小さく囁いた。
「士郎…」
返った声に、驚いた。
すぐ、近く。
「アーチャー…」
襖ががらりと引きあけられた。
伸びた手に、引き込まれた。


「あ…」
いつかと同じに、胡乱な頭で雨の音を聞いている。
時折顔を覗くアーチャーは、本当に酷い顔をしていた。
「士郎…」
どうしたらいいのか分からない。
それは俺もだけれど、一つだけお前より多く知っていることがあるから教えてやるよ。
…それはきっと酷いことだけれど、そうすればもうお前は一人で濡れていなくて済むだろう?
「アーチャー、好きだ」
一度言葉にすれば止めどなく溢れて、ずっと何度でも繰り返した。
「アーチャー、好きだ…好きだ」


今度は雨に消されないように、はっきりと、耳元で、ありったけの、思いを込めて。




やがて雨は上がった。


虫の声がする縁側に、二人で座っていた。
「いつかはあの場所に帰ると知っているのに、日常に感覚が鈍化してゆくのは恐ろしかった」
「うん」
「お前が私を愛していることも、恐ろしかった」
「…うん」
アーチャーは知ってたんだな。
きっと夢を見られてた、若さの果てのあんなんとかこんなんとか…
思い出したら恥ずかしくて死にそうになった。
「…おい…言っておくがそう言う意味で恐ろしかったわけではないぞ」
「分かってるけど、恥ずかし…」
ぎゅっと手を握られた。
「嬉しかったから恐ろしかったんだ」
「うん…」
先ほどまでの雨の匂いを、夏の風が払ってゆく。
でも雨はまた降る。
「俺も怖い、いつか離れて、お前は俺を忘れる…」
闇の中で寄り添う。
「ああ…」
いつか、離れるけれど、今できることはこれしかないから。
手を、痛いくらいに握りしめた、今はまだ、離れないように。


決して、離れないように。




明くる朝、教室で窓の外を眺めていたら、慎二がドカリと前の席に座った。
「…昨日、雨だったな」
「ああ、あれで梅雨明けだってさ、もう当分は降らないぜ」
そう言って、俺の机に肘をつくと、
「な、今はもう衛宮の家で犬猫飼えるんだろ?」
「ん…あんまり居着かないけどな、今は飼えはする…人がいるから」
「ふーん」
それだけがたった一つの。
あいつが居る未来は、きっと変わると信じる事だけが。
「あのさ、衛宮」
「なんだよ」
「あの犬、今度見にいくかい?」
「…え」
ポカンとした俺に、慎二はニヤッと笑い。
「あの犬、まぁみすぼらしい雑種だったけど、なかなか愛嬌があったからさ。ちょうど犬が欲しいっていってた女の子にあげたんだよね」
それは、
「慎二…!」


夏の風が窓から吹き込む。
今はまだ、でもきっといつか。


だから今は手を繋いで、雨空を見上げている。







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