アチャの冒険
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一日目
あり得ないなんて、あり得ないらしいけど。
驚天動地、空前絶後、青天の霹靂
「こ・・・これは一体!!」
「うそぉ・・・・」
「な・・・・」
喉が詰まり、四肢が重くなり、わぁぁぁぁぁんと耳鳴りがした。
視力だけは(これが一番途絶えてほしいというのに)問題なく機能している。
そして「それ」を凝視している。
本当は見たくない、目を閉じたい、意識を手放したい。
なのにそう思えば思うほど、頭は冴え渡り、フォーカスはそれに釘づけだ。
(あれは何だ・・・?)
いや分かっている、本当は分かっている。あれはあれで、それ以外にはありえない、自分があれを見間違えるはずは
なく、よって絶対にあれはあれだ。でもあれがあれだなんて絶対にありえない、あるはずがない、なのにあれは目の前
にいる、なんでだ?何故あるはずが無いものがあるんだ・・・・?
(ああそうか・・・)
「夢だっっっっっっっっ!!」
不意に絶叫した俺に、セイバーと遠坂がぎょっと振り向く。
「夢だっ!!そーだ夢だったのかっっ!!どーりで痛くないはずだよ笑っちゃうナァあはははは・・・」
頬を思い切りぶっ叩きながらそう言ってみるが、もはや痛くないのか痛覚が麻痺しているのか分からない。
「ちょっと!!自傷はやめなさい!自傷は!」
慌てた遠坂がこちらに駆けつけようとして固まる。
・・・理由は分かる。
どうやら未来の俺って、やっぱり今の俺より格段に思い切りがいいらしい。
俺の背後から噴出する冷え切った空気、大きな大きな黒い影、そして
「許せ」
・・・あぁアーチャー、つい五分前までの俺ならお前のこと止めたんだろうな。
だってここ、俺んちの茶の間だし、さっきまで畳んでた洗濯物あるし、お前が狙ってる‘あれ‘の背後にはこの前商店街
の福引で当てたばかりの32インチ液晶テレビがあるんだ。
でも俺、許すよ。だからやってしまって。
跡形もなく、痕跡も匂いもともかくあれが存在したって形跡を全て無くして。
これが俺の夢だとしたら、俺ごと吹き飛ばしてよ。
「アーチャー!!取り乱してはいけません!!」
「くっ・・令呪!!士郎、令呪をっ!!」
ごめん遠坂、その頼みだけは駄目だ。
それに令呪で命じたところで多分無駄だよ、こんなアーチャー俺も初めて。
あああれは、懐かしいいつかの螺旋剣。
シュウシュウと音を立てて背後の気が高まる、そして
(くるっ・・・)
「破っ・・・・!!」
耳元で聞こえたかすかな気合、同時に頭上を何かが通り過ぎた。
アーチャーの投影した螺旋剣に決まっているんだけど、最早不可視の速度で射出されたそれを追えた人間は一人と
していなかった。
・・・はずだった
「なっ・・・」
絶句の声が、頭上から
そして
「ふん、初対面の相手にカラドボルグか、しかも止められおってから。守護者としての力量を疑われるような行いは慎ん
で欲しいものだ」
あぁこの憎まれ口
「全く、オリジナルの出来が悪いとコピーの品質は当然疑われるのだよ?自覚してもらわねば困る」
LLどころかXLな態度のでかさ
あぁ間違いないよ、信じたくないけど、ありえないけど、あのちっちゃいのは・・・
「ふむ・・・マスター」
「え・・・?だれだれ?」
「・・・凛、やはりこの場合・・・」
恐る恐る二人がこちらを向く
その先には・・・・
「何をぼんやりしているのだね?」
そいつはぽんとちゃぶ台の上から畳みに飛び降り、とととっと、こちらに駆けてきた。
俺の足元で立ち止まり、俺を見上げ、どうも俺の顔が見難かったらしく、よじよじするするとジーパンおよびシャツを登り、俺の
肩に立った。
「うむ、やはりここがいいようだ。・・・さて、マスター今日から世話になる」
ますたぁきょうからせわになる?
「私は・・・まぁ原料はそこのでかいのと同じだが、あれよりは数段役立つつもりだよ。どうかマスターの好きに、私のことは呼ん
で欲しい」
ワタシノコトハヨンデホシイ?!!
(あぁ・・・もう・・・)
「遠坂・・・」
「な・・・なに?」
「後は・・・任せた・・・」
「ちょっ・・・士郎!?士郎!?」
遥かかなたにフェードアウトしてゆく夢だか現だか
最後に見えたのは・・・
体長30センチのアーチャー
・・・悪い夢だ、俺は知らない
小皿ほどのロー・アイアスに止められたカラドボルグがちゃぶ台から落ちたのだろうか、鈍い音が、遠くで聞こえた
気がした・・・・
「やりすぎたのか」
「そうよ」
顔を真っ赤にしながらも、義務感からか、布団の中でうなされている士郎への同情からか、凛はアーチャーに説教を続け
た。
「必要以上の魔力が、士郎からあんたに注がれて、それで出来上がったのがこいつなの。ホムンクルスの一種って言えなく
もないわね」
婉曲に表現しようとした凛の努力を、アーチャーが台無しにする。
「しかし、あれは直接精液から製造される、錬金術の類だろう?それに出来上がったホムンクルスが精の提供者の記憶を
持ち、形をかたどるなどとは聞いたことが無い」
一応語勢こそ努めて穏やかだが、相当動揺しているようで、言葉を選ぶ余裕が無くなっている。
凛は腕を組むと
「そうね・・・記憶と形についてはあんたたちが同じ遺伝子の持ち主だったってのが絡んでると思うけど・・・けどねアーチャー、
ひとつだけはっきり言えることがあるわ」
がっしりとアーチャーの肩を掴み、真っ直ぐに瞳を見つめ、きっぱりと凛は言った
「できちゃったものは仕方ないわ、きちんと責任取りなさい」
「なっっっ・・・」
「その通りです、アーチャー」
傍らで沈黙を守っていたセイバーが口を開く
「乱暴なようですがそれが真理です。出来てしまったものはできてしまったのです、結果にはきちんと責任を取らなければ」
「いやそのそれはその・・・」
「まさかなかったことにしようなんておもっているわけがないわよねぇぇぇぇ?」
笑顔の凛の背後から過去最大出力のオーラが噴出し、傍らでなぜかセイバーが武装した
秒刻みでプレッシャーが膨らんでゆき、吹き出した魔力の圧で床の間の掛け軸がはためく。
(・・・勝てる気が全くせん・・・!!)
二人の戦闘力とかそういうものではなく、なにか、男には無いなにかに圧倒されてアーチャーは後ずさる。
今までくぐった全ての死線を思い返しても、ここまで絶望的な状況は無かった気がする
「し・・しかし・・・」
「ふん、余計な心配を勝手にしないでくれ」
不意にかかった声に三人が注目する、なにせ一番の当事者なのだ
ちゃぶ台の上から事態を静観していた彼は、そこからひょいと飛び降りると
「その無責任甲斐性なし男に責任を持たれるほど落ちとらん、私はマスターに存在を許されればそれでいいのだ」
「それは・・・」
「私はマスターに望まれ、それに応えるためにここに存在し、私としての独立した人格を獲得している。私のオリジナルとはい
え、その男との関りはない。・・・私の責任は私が取る」
それだけだときびすを返すと、とててててて・・・と士郎の眠る布団の端まで歩いてゆく
「お・・・男らしいわね・・・」
「全くですね。・・・さぁアーチャー、あなたはどうするのですか。さっさと腹を決めてください」
いつになくセイバーは厳しい
「気持ちは分かりますが、仕方の無いことなのです。いい大人なのですから、しっかりしてください」
「いやしかしこれは・・・!!」
「まったく往生際が悪いですね。何ですか?英霊として数多くの死線をくぐっただの、経験が違うだのと士郎には言っておいて
、その実己の行動の結果ひとつの責任も取れないのですか?士郎はあなたを信じて今まで身体を委ねてきたのですよ、あ
なたがそのようでは士郎が気の毒だ」
「・・・・・」
凛がセイバーの袖を引く
「ちょ・・ちょっと言い過ぎじゃないの?」
しかしセイバーは首を振ると
「いいえ凛、これは重大なことなのです。ここで彼はきちんと自分で腹を据えねばならない。妊娠期間という心の準備の時間
がなかったのだから余計に、です。」
結婚生活、妻の出産、子育てを経験しているセイバーの言葉は余りに重い
「セイバーがそう言うのならそうなのね・・・」
凛はため息をついた
「私から言えることはないけど・・・けどアーチャー、やっぱりあんたが認めるのと認めないのとじゃ士郎の気持ちも大分楽にな
ると思うのよ。こういう気持ちって男の人にはなかなかわからないらしいけど・・・」
「ちょっと待ってくれ、こいつはおと・・・・」
「そんなことは些細なことです」
「そうよ、今はあんたのことを話してるの、さぁアーチャーはっきりしてね」
凛の手のひらに、いつの間にかいくつかの宝石が握られている
「大丈夫ですよ、親子として触れ合ううちに、自然に情が湧いてくるものなのです」
微笑むセイバーが、エクスカリバーの柄をぎゅっと握りこむ
(ただの一度も敗走はなくっ・・・!!)
アーチャーは呪文の改正の必要を感じた
(どうすればいい・・・!?)
しかし意外な方面から、助け舟がでた
「遠坂、セイバー・・・」
常になくかすれた声が二人を呼んだ。
「士郎、気がついたのね」
「どこか痛む所はないですか?」
気遣う二人に微笑むと
「はは・・・気ぃつかわなくていいんだよ・・」
ぎゅっと布団を握り
「別に、子供産んだわけじゃないんだから・・・」
「士郎・・・」
凛とセイバーが士郎の傍らに寄り、肩に手をかける
「・・・アーチャーのこと、責めないでくれ。アーチャーが悪いわけじゃないんだから」
ぎゅっと瞳を閉じる士郎を、痛々しそうに女性二人は見つめる
・・・アーチャーは嫌な予感がした
「当たり前だよな、ホムンクルスとはいえこんなことになるなんて、アーチャーは今まで考えたこともなかったろうし・・・。ただ・・俺
は・・・」
言葉に詰まって俯く士郎、部屋に広がる不穏な空気
(ま・・・間違いない・・この船は泥舟だっ・・・!!)
思わず後ずさるアーチャー
「マスター、私はあの男には受け入れられていないようだが・・・それでもマスター、傍にいていいだろうか?」
「うん、俺はお前がいてくれて、うれしいから」
「ありがとう、マスター。私の身体と魂と心はひとつの例外もなく君の為に存在する」
士郎は微笑むと
「・・・マスターじゃなくて士郎でいいよ。よいしょっ・・と、お前腹減ってないか?なんか作ってやるから来いよ」
「了解だ、士郎」
座敷を出て行きながら、士郎はアーチャーの方を振り向き、力なく微笑んで
「大丈夫、お前に迷惑かけないから・・・」
そう言って出て行った
「あ・・・・・」
かたんと障子が閉じた瞬間、ゆらりっ・・と、凛とセイバーが立ち上がる
すうと、部屋の空気が冷える
アーチャーは泥舟がごぼごぼと音を立てて沈んでゆく音を聞いた
「話せばわかるっっっ!!」
「「問答無用っっっ!!!!!」」
どがーーーーん、とどこかで轟音がしたようだ
どこで誰が誰に対してどういう状況で何をして発生したかは大体分かっていたので士郎は特に何も言わなかった
「いいのか士郎?」
とりあえず・・・と士郎が出したプリンを、大きなスプーンで食べながら彼が尋ねた
「いーんだ、大体こっちの言い分何にも聞かずにがっついてるからこんなことになったんだ、少しは痛い目見りゃいいんだ」
「そうか、士郎がそう言うならそれでいい」
神妙な顔でそういう口元のカラメルを、士郎は小指で拭ってやった
「そうだ士郎、私に名前をつけて欲しい」
「名前?そうだなぁ・・・」
士郎は腕を組んで暫く考えていたが
「そだな、小さいアーチャーだから、アチャでいいだろ」
「む、少々安易ではないか?」
「気に入らないか?アチャ」
「・・・士郎がそれでいいなら、それでいい」
「よろしくな、アチャ」
春の夜が更けてゆく。
「どうしますか凛、そろそろあまり動かなくなってきましたが」
「いーわよ、このくらいでへばる奴じゃないって私知ってるもの。もう二三発お見舞いしてやって」
「了解です、マスター」
「この部屋あんたが直してよ、アーチャー」
「うーん、静かになってきたようだが・・・そろそろ行ってやった方がいいのではないか、士郎」
「ははは、アチャはやさしいなぁ。食器洗い終わったら行くよ」
その夜、体長約30センチメートルのアーチャーのホムンクルス、アチャが衛宮家の家族に加わった
オリジナルより甘党のようだ
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二日目
藍から青へ、刹那に輝き、やがて金色に光る空
いつかの夜明けを髣髴とさせる美しい朝だった
「新しい家族ができた初日だもんな」
と、起き抜けの衛宮士郎は大きく伸びをし
「・・・・・・」
雑巾片手に、徹夜で座敷の修復と掃除を終えたばかりのエミヤシロウにも太陽は平等に微笑ん
だ
「アチャ、塩取ってくれ」
「ああ」
「アチャさん、味見していただけますか?」
朝の光あふれる台所に立つのは士郎と桜。流しの上に腰掛けて、時折二人の作業を手伝うのはアチャ。
居間では遠坂、セイバーが頭をつき合わせて何事か話し合っている。
「桜にはなんと説明を・・?」
「一応私の魔術実験の失敗って事にしてあるんだけど、多分勘付いてるわ」
セイバーは台所を確認し
「それにしては落ち着いているようですが」
「ええ、私もどうしてかしらって・・・・」
柔らかな朝日に、磨かれた廊下は暖かな光を返し、やがて台所からふわりとバターの香りが漂ってきた。
だが
その時、なんともいえない悪寒が二人の背を疾走した
同時に振り返り、そして
「ああーりん、きょうのうらないかうんとだうんがはじまりましたよ」
「あらそうねせいばー、わたしうらないしんじないけど」
微妙にカクカクしながら、ぎこちない会話を展開
なんかね、今ね、廊下をね、でっかいクラゲが通っていった気がしたんだ。でね、おかーさん、その
クラゲね、黒と赤でね、ほんとに凄くおっきくて、なんだかお風呂場の方に行ったんだ。
・・・風呂場には、昨夜徹夜のアーチャーがいる
桜が綺麗に盛り付けたフレンチトーストの皿を持ってきた
「あら、占い見てるんですか?」
「ええさくら、いやきょうのふれんちとーすとはいつにもましておいしそうだ」
カクカクしたままのセイバー。桜はニッコリと笑うと
「アチャさんに火加減おそわったんですよ」
セイバーがびくりと肩を震わす
「そっ・・・そーでしたか・・・」
「嫌だわ、そんなにびくびくしなくても。私アチャさんのことは大好きですよ?」
「でも今、アンリマユ・・・」
怯える二人に、ますます楽しそうに笑いかけると、遠い瞳をして
「子供はいつだって悪くありません。悪いのは甲斐性の無い親・・・そうでしょう?」
桜が口にすると洒落にならない台詞である
張り付いた笑顔が凄惨にすぎる
「大丈夫ですよ、先輩に怒られたくありませんから、少し齧るくらいでやめておきます」
桜はふふふとかわいらしく微笑むと、エプロンを翻して台所に消えた
(ああああ、凛どうすればっ)
(アーチャー・・・いい奴だったわね・・・)
(見捨てるんですか!!)
居間でセイバーと遠坂が騒いでいるのを聞きながら、士郎はアチャの指導の下、中身トロトロオム
レツの製作に取り組んでいた
「大切なのは強火の維持と、卵液を流してから素早くかき混ぜることだ」
「うーん・・・」
「何、二つ三つ作ればコツは掴める」
「先輩っ」
そこへうれしそうに桜が帰ってくる
「セイバーさんに褒められちゃいました。ありがとうございます、アチャさん」
「うむ、それは何よりだ」
ふっと、士郎が桜を向く。
火を止め、桜の額をつんとつつくと
「あんまりやり過ぎないでやってくれ」
「えー、何のことですかぁ。先輩」
(きゃっ、先輩にお願い事されちゃった)
喜ぶ桜
「ふむ、これなら合格点だな」
菜箸で士郎のオムレツをチェックするアチャ
その頃
「うのわぁぁぁぁっっ!!いっ・・・齧るな!!足の指が減るっっ!!」
風呂場ではプチ死闘が繰り広げられていた
まぁ・・・死ぬことはないだろう
茶の間ではどこまでも穏やかに朝のひとときが過ぎてゆく
熱々のフレンチトーストは、粉砂糖で自分好みの甘さに。
フルーツサラダはラズベリーのソースか蜂蜜を添えて。
オムレツ頑張ってみたんだけれど、どうだろうか?
牛乳は無粋だけれどパックごと置いて。
さあ、最後に・・・
「アーチャー呼んでくるよ、紅茶はあいつの得意」
そういって立ち上がる士郎を、セイバーと遠坂は涙ながらに止めた。
「ああっ士郎、何も言わずに私に行かせてくださいっ。これは力及ばなかった私の責任なのですっ
っ・・・」
「私もいくわ。あいつはいい奴だったのに、私たちが・・・」
すでに過去形になっている
「い、いや何もそんな・・」
セイバーの顔色が悪い
「今頃アーチャーはきっとネギトロに・・・」
「・・・いくらなんでもそんな姿を士郎に見せられないわ・・・いくわよセイバー」
そうして出てゆく二人を止められず、桜と士郎は顔を見合わせた。
「桜、トマトケチャップよりはマシなんだろ?」
「そーですねぇ、イチゴジャムくらいかしら・・・」
「やりすぎたら駄目だっていったろー桜」
「えへ。先輩ごめんなさい」
つんと額をつつかれて喜ぶ桜。
「ううむ、他人事ながら少々哀れに思えてきたな・・・」
フルーツサラダをつまみ食いしながら、他人事のようにアチャがぽつり・・・
やがて二人が戻ってきた。
「あ、どうだった?」
「アーー・・・・士郎に来て欲しいそうです」
短時間にげっそりしたセイバー
「男の人にしか頼めないこともあるだろうし、行ってあげて」
驚異のダイエットに成功しちゃってる遠坂
惨状が目に浮かぶようだ
「わかった、じゃあみんな先に食べててくれ」
「はい士郎・・・、ああ・・今ラズベリーソースはちょっと・・・」
「私も遠慮するわ・・・」
「おーい、開けていいか?」
「・・入れ」
摩りガラスを引いて風呂場に入る
意外にもアーチャーは五体満足だった
風呂桶に腰掛けて、ぐったりしてはいるが
「あれ?ひーふーみーよー・・・。なんだ指もちゃんと揃ってるじゃないか」
「・・・・・」
「タバスコだっていうから、雑巾とバケツ持って来たのになぁ・・・。自分で再生したんだ」
「・・・ああ」
「じゃあいいか、みんな待ってるから茶の間な。紅茶はまだお前に敵わないからさぁ」
「士郎・・・」
士郎の名前を呼ぶ声色の、なんと切羽詰って甘いこと
思わず少しびくりとしたが、気付かないフリをして士郎は振り向く
「ん?どした」
「・・・・」
見つめる瞳の、なんて深くて強いこと
じんと胸の奥にくるものを感じて、士郎は瞳に力を込めた
「・・・騙されないぞ」
「騙してなどいない。再生に魔力を消費した、座敷も建て替えたしな」
「おまえいつもそー言う」
「事実だ」
「・・そうじゃなくて!!」
ぶーたれる士郎をもう何にも言わずに抱き寄せたとき、士郎はくすっと笑ってアーチャーの耳元に囁
いた
「・・・二人目欲しい?アーチャー」
ずざざざざざざざざざぁぁぁぁぁぁっっっ・・・・
音を立ててアーチャーが後ずさる
士郎は白い目でそれを見て
「ふん、甲斐性なし。アチャそれ仕舞っていいぞ」
いつの間にか洗濯機の上で、アチャがカラドボルグをつがえていた
「いいのか?」
「いーんだ、アチャの手を煩わせるまでもないし、固まってるし」
アーチャーは壁に張り付いてピクリとも動かない
固まってるアーチャーを風呂場に残して、士郎はフンときびすをかえした
それはいつかの朝のこと
黎明。
そんなことは一度も思ったことがないのは確かなのに、ずっとこの空を待っていた気がした。
黎明・よあけ。あけがた。また…新しい時代のはじまり。
夜が明けるときは、いつも一瞬。
「……けど!けど、それじゃ。アンタはいつまでたってもーーー」
今も昔もこれからも憧れの少女が、自分のために顔を歪めてくれる。…これ以上何を望めよう。
「士郎…!!」
彼方で無様に倒れ伏す自分に、駆け寄る騎士王の声がした。
(彼女も生き残ったのか…)
ならばいい、思い残しがもう本当に何もない。
彼女が己の意志で聖杯を壊したのなら、それは彼女もまた答えを得た証。
「私を頼む。知っての通りの頼りないヤツだからな。ーーー君が支えてやってくれ」
風が吹いた。
笑顔を、凛に向けようとしたその時、
「し…士郎!?」
セイバーが慌てている、そして向かい合った凛が目を丸くしている。
「なんだ……?」
「あ!アーチャー振り向いちゃ駄目!!」
「む……」
指摘は少し遅かった。
空飛ぶスニーカーの底と、その付属物が、全身全霊で飛んできた。
緊張感が吹き飛ぶ音、感動が消し飛ぶ音、それから
「一人でカッコつけられると思うなこのやろーーーー!!!」
「…なっ……!!」
完全に虚をつかれた弓兵の顔面に、士郎の跳び蹴りがまともにめり込んだ。
完璧な放物線を崩さず、倒れ込んだアーチャーにそのまま馬乗りになる。
ずっざぁぁぁぁぁぁぁ・・・・
…見ている方の神経までかきむしる擦過音。
「先輩!?」
慎二を支えていた桜まで、あっさり兄を放りだして駆けてくる。
「き…様っ…何のつもりだこの馬鹿も……!!」
いつかの調子で怒鳴ろうとし、不穏…な空気を感じて黙る。
心眼スキルが何でだか、フルボリュームで警鐘を鳴らし始めた。
「そうだなアーチャー、どうも俺は今のところ馬鹿みたいだ、それは認める…でもな」
士郎はアーチャーが繰り出すはずだった必殺エミヤスマイルを満面に浮かべると、
「今からお前はその馬鹿にしてやられるんだよ」
「……!!」
え、ちょっとなんか性格変わってないか?どしたの?摩耗が早まったの?
思わず素に戻ったアーチャーの脳裏を、字面ばかりが駆けめぐる。
「士郎!何やってるの!」
青筋立てる凛に、士郎は真顔で質問した。
「遠坂、アーチャーが遠坂のいないところで遠坂のことなんて言ってたか知ってるか?」
「えっ……!?」
意外な質問に凛は驚く、
「な、なによそれ!!」
「あーやっぱり?言えるわけ無いよなあんなこと・・・いや、気にしないでくれよ遠坂、アーチャーも悪気があって・・・」
「・・・詳しく聞かせなさいアーチャー!」
目尻を上げて、アーチャーの顔をのぞき込む。
「なにを言っているこの小僧…!!」
「え?何言ったかって?あーなんて言ってたかなー、確か贅肉がどーのこーの…とか?」
「な…なんですってぇぇぇぇ!!!?」
凛がNGワードに逆上した。
「待て!待てっ…それはこの馬鹿者の作り事だ!」
「ふーん…」
凛は半眼で士郎とアーチャーを睨む、判断がつきかねているらしい。
「…どうなのよ、士郎」
士郎は指を顎に当てながら、
「んーと、後、城で遠坂が捕まってるときに、しか・・・」
「なっ・・・貴様!それを言うか!!」
流石にあれはまずいと士郎の口を塞ぎにかかるアーチャーの、
背後から、
「あら…ずいぶんな慌てようなのねアーチャー。どちらが本当のことを言っているのか、もうはっきりしたみたい」
凛の冷たい声が、
「違うんだ凛!」
「何が違うのかしら?ねぇ衛宮くん」
「さぁ?オレ馬鹿だからよくわかんないな」
いつの間にか凛の後ろに控えた士郎は、わざとらしく肩をすくめて見せた。…そう、アーチャーを完全に真似た仕草で。
「貴様・・・!最初からこれが狙いか!」
どれだけ叫んでも、一度信用を失ったアーチャーの言葉は凛に届かない。
「口は災いの元ってよく言うわよねー…。ん、ガンドの出力、今朝も上々ね」
当てる気満々で指を鳴らす、赤い悪魔の再来襲。
「さすがに今打ったらアーチャー死なないか?」
心配だなー、と棒読みする士郎。
「大丈夫よ、アーチャーには、士郎と契約してもらうから」
「何を言っているんだ君は…!」
凛はにっこり微笑むと、
「あら、凄く合理的だと思うけど?相手がいなくちゃガンドは打てないし、士郎は誰とも契約してないし」
「遠坂じゃなくていいのか?」
「複数のサーヴァントと契約するのはよくないの、契約をあんまり切ったり結んだりもね。さ、士郎、左手出して」
「凛やめ…」
「アーチャーは見てなかったわよね、私のガンド。是非見て欲しかったの、調子が良いときはブロック塀くらいなら軽いのよ」
「・・・・!!」
それはきっと、ガンドとは言わない。
ああ麗しの赤い悪魔、君はそうしてガンドを打つ仕草すら、なんだって優雅に見えるんだろうね。
そんないつかの朝を思い出しながら、凛は今日もひときわ優雅に缶の紅茶をくいっと飲み下す。
(乗せられたのは分かってるけど。ま、たまには乗ったフリもしてあげなきゃね)
飴鞭飴鞭・・・なんて呟いて、風にそよぐ黒髪をこれまた優雅に掻き揚げるのだった。
桜はいそいそと、三人分の食べ終わった弁当箱を包んでいる。
屋上は、今日は平和。
「なぁ桜、今日の卵焼き・・・」
尋ねる士郎に、桜はパァと顔を輝かせると、
「あ、気付きましたか?アチャさん直伝のう巻きもどきです」
「そっか・・・このままじゃ和食も桜に追い越されちまうなぁ」
はは・・・と笑う士郎に、
「だ・・・大丈夫です!そしたら先輩のご飯は三食私がっ・・・」
桜が決死のアピールを仕掛ける・・・!!ものの、
「あらあら、大丈夫よ衛宮くん。煮物の形が崩れてたもの、桜もまだまだだわ」
妹をきっちり牽制する、しっかり者の姉、
「・・・ぎりぎりまで眠ってらっしゃる方と違って、朝練前に急いでお野菜の面取りをするのって大変なんですけど。今度から気を付けますね、姉さん」
にっこりと笑顔でリベンジを誓う、がんばり屋さんの妹。
ああ美しいかな姉妹愛。
「さてと・・・まだ時間あるわね。桜も、時間いい?」
「あ、はい大丈夫です」
「え・・・」
士郎が慌てて体を起こす。
「なんか話があるのか?」
「アチャのことよ、決まってるでしょ」
「ああ・・・」
成程・・・と士郎も居住まいを正した。
「けど姉さん、アチャさん自身のことならともかく、アチャさんの出来た過程とか仕組みとかは姉さんの方が詳しいんじゃないですか?」
「それはそうよ。でもね、アインツベルンの三人から聞いたりとか、あと見てたら分かるでしょうけど、ホムンクルスって本当にデリケートで扱いも管理も難しいものなの」
スカートの内ポケットから、愛用の眼鏡を取り出しつつ、凛はびしっと人差し指を立てる。
「そうなんですか・・・」
「だから今のうちにアチャのこと色々調べて、分析して!・・・何かあってからじゃ遅いのよ」
「そうか・・・わかった、遠坂頼む」
神妙な面持ちの士郎。
「結構デリケートなことも聞くけど、ちゃんと答えなさいよ?」
「ああ」
赤い悪魔は頼れる兄貴に大変身。
青空の下、「第一回三人でホムンクルスについて勉強しよう!ついでにきわどい質問で士郎をからかおう大会!!」
が、士郎の気が付かないうちに開催されるに至った。
捜し物は何ですか?見つけにくい物ですか?
同時刻衛宮邸。
セイバーは土蔵に足を向けていた。
いずれの時刻にも人が絶えることなく出入りする衛宮邸で、唯一静寂を保つのが土蔵である。
ここは魔術師衛宮士郎の、いわば工房である、みだりに立ち入ってはならぬ場所。
・・・・まぁ理由は他にもあったりはするのだが。
ともかく、凛も桜も滅多には立ち入らないそこに、セイバーはそっと足を踏み入れた。
「アチャ・・・やはりここでしたか」
「む、セイバーか」
土蔵の奥、がらくたの山を見上げていたアチャが、ととととと・・・とセイバーに向かって歩いてきた。
「食事の準備がじきに整いますから、母屋へ来て下さい」
「ああ、了解した。・・・時にセイバー」
「何ですか?」
「一つ頼まれてはくれないか」
昼は菜の花づくし。
台所に陣取るアーチャーは、手際よく一汁一菜を整えてゆく。
菜の花の炒飯蟹風味あんかけ、定番おひたし、吸い物にもあしらって・・・
「ふむ・・・どうも型どおりになりがちだな、研究の余地がある」
背後から掛かった忌憚無い意見に、アーチャーはうっそりと振り向いた。
「好きでやっていることではない」
「口ではいくらでも言えよう」
そう言ってカウンターテーブルから飛び降りると、隅に置いてある小さな段ボールの箱を運んで行く。
「もう出来ているぞ」
「ああ、手間は取らん。食事には間に合う」
ちらりと床に積まれた菜の花に目を留めると。
「夜は天ぷらが良いだろうな、冷蔵庫のエビがそろそろだ。菜の花に桜なら彩りも華やかだろう」
「・・・・・」
それは先ほど冷蔵庫をのぞいて、アーチャーが考えたことでもあった。
とととと去って行く後ろ姿を眺めて、小さく溜息を吐いた・・・。
炒飯を運んで茶の間に赴くと・・・縁側に懐かしい物が並んでいる。
「なんだ・・・?」
誰しも子供の頃一度は手にする、昆虫観察用の透明なプラスチックのケースである。にしても、なぜ三つもあるんだ。
アチャはその中の一つにに、せっせとキャベツの外葉を敷いている。
それを興味深そうに覗くセイバー。
「これは何ですか?」
「開けても構わんが・・・いや、私が開けた方が良かろう」
そう言ってアチャは、先ほど運んできた段ボールの箱を開け・・・
「これは・・・」
「蝶の幼虫だな」
それって青虫・芋虫って事ですよね?とセイバーは顔を顰めた。
「・・・生まれつきの容姿を忌まれたのでは、こいつらもどうしようもないだろうな。反省したまえ騎士王」
「む・・・確かに今の言葉は見識を欠いていた、申し訳ない」
王様にもの申す、ちっちゃな赤い騎士。
「まあ見慣れればどうということもない、皆四齢を過ぎているから一月もしない間に成虫になる」
アチャはキャベツを敷いた飼育箱に、幼虫をいくつか選って移した。そして今度はシロツメクサを別の箱に詰め、そこにまた幼虫を選って移す。
「何故分けるんですか?」
「見れば分かると思うが、種類が違うんだ。キャベツを食べるのはモンシロチョウの幼虫、シロツメクサはモンキチョウだ」
「なるほど・・・」
「同じシロチョウ科だからな、最初はわからんかもしれんが・・・これはわかるだろう?」
「・・・・・・」
セイバーは眉間に皺を寄せて考え込む。
「これは・・・幼虫ですか?目が・・・」
「目に見えるのは擬態だ、本当の目はここだ」
「な・・・なんと!」
素直に感動する騎士王に、後ろで事を見守っていたアーチャーは頭を抱えた。
・・・説明しよう。朝から「何か仕事を」と求めるアチャに、士郎は家庭菜園の管理を一任したのである。
アチャは立派にその使命を果たし、結果がこの飼育箱らしい。
「要は菜園の作物を荒らされなければいいのだろう?ならばわざわざ殺すこともない」
さすがは正義の味方、と皆が誉めると、それだけはまるでアーチャーと同じようにむっつりと不機嫌そうにしたとかしないとか。
「これは主にミカンの葉を食べる・・・アゲハチョウの幼虫だ」
「これがあの美しい・・・」
「ふむ・・・確かに蝶の成虫は美しく、幼虫は醜い。しかしなセイバー」
アチャは三つの飼育箱の蓋を閉めながら、
「こいつら自身はそんなこと考えもしていないだろうよ、羽があろうが無かろうが、好まれようと嫌われようとこいつらはこいつらだからな」
「・・・・・」
「いつもそう考えろとはいわない、しかし時に視点を小さな日の差さない世界に下げる事も必要だろう」
セイバーはしばし瞑目し、やがて微笑んだ。
「・・・ありがとうございますアチャ、私はあなたに学ぶことが多そうだ」
「そうね、この子ったらオリジナルのアーチャーより、よっぽど人間出来てるみたい」
鈴のような声は庭から響いた。
「イリヤスフィール!」
「あら、睨まれる覚えはなくてよ?何度呼んでも返事もしないんだもの。失礼はそちらの方だわ」
「それは・・・失礼しました」
頭を下げるセイバー。
「まぁいいわ・・・・面白い物も見られたしねーーーー」
イリヤがニヤリと笑う。
その視線にアチャがびくりと身をすくませた瞬間。
「かわいいーーーーー!!」
「なっ・・・!!こら!イリヤスフィール!君ははしたないとは思わないのか!」
「だって、こんなにちっちゃくて可愛いとは思わなかったんだもん!!おっきいのと全然違うわ!!」
「うわ!やめなさ・・!ふが・・・!!」
めっちゃくちゃらに撫でられ抱きしめられるアチャ。
一見ほほえましいその風景を笑顔で見守るセイバーと・・・・本気で窒息しかけているアチャ。
事態の収拾を付けるつもりなんか毛頭無いアーチャーは、取り皿を一つ増やすために台所へ歩いていった。
穏やかに穏やかに、これからも日々は過ぎてゆく?
やがて地の果てからするすると音もなく夜は満ち。
賑やかな夕餉を境に、衛宮邸も静かな夜を迎えた。
魔術師の魔力は多く夜中に満ちる、よって例外なく魔術師は宵っ張りなものだ。
自室に籠もり道の探求にいそしむも、休み力を蓄えるにしても、夜を無駄に過ごす魔術師など居ない。
皆それぞれの夜を過ごす中、士郎もまた、土蔵に一人、じっと時を待っていた。
また今夜も、いつもの修練をこなし終わるころには夜半を過ぎていた。
ふうと息をついて、体の力を抜く。
そうすると汗ばんだスエットに寒さが染みてぞくりとした、風呂に入ろうか、ああでもそうすると随分遅くなってしまう。
どうせ汚れるのだし、最後にまとめて入った方が良い、あいつも入るだろうし。
そう結論してマットの上に転がった、魔力が満ちるまでもう少し。
あいつが来るまでもう少し。
天井の梁をぼんやり眺めながら、夕食までのことを回想する、というか、余りのインパクトにせざるを得ない。
晩の食卓を彩った、菜の花と海老の天ぷらを巡って起こった腹ぺこライオンと虎の死闘とか。
普段は静観を貫く遠坂と桜まで、花の戦に参戦して、俺とアーチャーは完全に食いっぱぐれたとか。
諦観の境地にいたら、どうやら事態を予測していたらしいアーチャーが事前に取り分けておいた分を出してくれたりとか。
それを藤ねえから身を隠していたアチャと三人でこっそり食べたりだとか・・・。
温かな記憶は、冷え冷えとした土蔵の底でも体を温めてくれる。
(ああでも・・・・)
ちらちらと脳裏をかすめるモノ、本当に考えていることは、気になっていることは、
夕方家に帰った時には、まだイリヤがいた、
「あれ、イリヤ今日は来るって言ってたっけか?」
「凛に呼ばれたのよ」
「ああそっか、アチャの事相談したくてさ・・・なんだ、もう仲良しなんだな」
「ええ、菜園の菜の花畑も案内してくれたのよ」
イリヤの腕の中で、なぜだかアチャはくったりしていたのだが。
イリヤは皆の前で、アチャのことは心配しなくて良いと言ってくれた、
「ホムンクルスとしての機能は完全に備わってるし、聞いたところじゃサーヴァントとしての自覚はオリジナル以上にあるみたいだし」
「よかった・・・ですよね!先輩っ」
「ああ、安心したよ。遠坂、悪かったな」
「・・・え、あ、うん。そうね、良かったじゃない衛宮君」
「・・・・?」
(そうだな、気になるって言えばこのときの遠坂の態度もちょっとおかしかった・・・)
「よし、じゃあ今日はアチャの歓迎を兼ねて豪勢にやろう。イリヤも食べてくだろ?」
イリヤはちらっとこちらを見ると、
「今日は遠慮するわ。桜がもう居るって事は、大河も帰ってるってことでしょ」
「・・・それは賢明かもしれないな、イリヤ」
イリヤはあの時点で晩餐の惨劇を予測していたんだろう。しっかりした妹は兄の自慢である。
「セラとリズが迎えに来るまではゆっくりするわ・・・あ、士郎見て。アチャったら蝶を飼っているのよ」
そう言って、イリヤが示した飼育箱。
「へぇ、懐かしい・・・。俺もペットとかは飼ったこと無いからなぁ・・・」
一応ではあるが、結界の張られた衛宮邸に滅多に犬猫は寄りつかない。
「魔術師はそれが普通よ、使い魔とか実験動物ならともかく・・・」
「じゃあ、イリヤもペットは飼ったことないんだな」
(ああ、そうだ。このとき)
「私は飼えないんじゃなくて、飼わないの」
「そうなのか?」
「ええ、私もリズもセラもペットなんか飼わない。アチャは・・・変わり者ね」
(このとき・・・)
「・・・・・・」
「アーチャー・・・?」
(どうしてお前は)
「どれ、イリヤ、迎えが来たようだぞ」
寄りかかっていた壁から背中を起こして、アーチャーが表に顔を向ける
「そう、相変わらず耳が良いのね」
やがて耳慣れた排気音が聞こえてきた。
「玄関まで送ろう」
「ありがとう」
二人は連れだって、玄関に歩いてゆく。
その後ろ姿が、なんだか、どうしてか、ひどく儚く見えた。
ふと意識を浮上させると、大分体は冷えていたようで、指先が微かに痛んだ。
「・・・起きているか?」
「ああ、起きてるさ」
傍らにたたずむ影。
アーチャーはしゃがむと、腕の中に俺を引っ張り込んだ。
「冷えるぞ」
「・・・・・・」
「まぁこれから温まるのだし構わんか」
手のひらがシャツの裾から入り込んで、さらりと腹を撫でた。
魔力が足りていないのは知っていたから、別にそれを止めるつもりはなく、ただ・・・
「なぁ、アーチャー」
「なんだ」
「・・・・・・・」
言葉が見つからない。
聞きたいことはいくつかあったはず、けれどいつもそうだ、いざ口にしようとするとかき消える。
「・・・・お前はいつもそうだな」
アーチャーが、呆れて俺の髪を撫でた。
「聞きたいことがあるのだろう?・・・言え、答える」
「・・・あのさ」
言いたいこと、聞きたいこと、頼みたいこと。
沢山のような、何一つ無いような。
「・・・お前、言いたいこととかあったらちゃんと言えよ」
「馬鹿か貴様は」
アーチャーは露骨に溜息を吐く
「それは私がお前に言いたいことだ」
「それは・・・」
「ふん、時間の無駄だな。ほら、力を抜け」
(誤魔化すなよな・・・)
心の中で思いはしたものの、それは言葉にならなかった。
「私は飼えないんじゃなくて、飼わないの」
(なぁアーチャー・・・)
「ええ、私もリズもセラもペットなんか飼わない。」
(なんでお前)
「アチャは・・・変わり者ね」
(そんな悲しそうな顔すんだよ)
聞きたいことだけ何一つ聞けないまま、熱に揺さぶられて意識は落ちていった。
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三日目
おいていかれるのはもういやだって、だれにいえばいいのかわからないんだ…
目を覚ましてからあいつの姿を見つけるまでの時間が、ひどく長く感じることがある。
ほの白い光差すだだ広い部屋を見渡し、重い障子を引きあけ、冷たくて長い廊下を抜けて。
やっと見える背中。
ほんの少しだけ怯えながら、声を出すんだ。
「おはようアーチャー」
「おはよう」
ああ、よかった…と。
今朝も変わらないやりとりに、安堵する。
口に出したことは一度もないけれど、通うものから伝わっているだろうか。
鍋の火を小さくして、アーチャーはこちらに向き直った。
俺は少し慌てた、顔も洗ってなかった。
「…寝癖がついている。朝食の準備はできているから、洗面所に行ってこい」
くしゃ、と寝癖になってるらしい辺りを撫でられる。
「うん…」
交わす言葉の端に、微かに昨夜の熱が残っているようで。
枕を交わした次の朝は、いつまで経ってもどことなく気恥ずかしい。
「あー…えっと、悪いな朝飯。俺の仕事なのに」
「いや、ついでだからな、礼には及ばない」
ついでというのは…
「どっかでかけるのか?」
アーチャーは弁当箱を、縮緬で丁寧に包みながら。
「ああ、アチャと少々出てくる」
廊下の端でひそひそと、
「どういう事でしょうか?」
「アーチャーに父性が芽生えたのだとしたら、それは良い傾向ですが…」
「そうじゃなかったら…」
「…狩人は白雪姫を殺すのに、森へ連れ出しました…」
「…!なんてこと!!」
いや、いくら何でもそれはないだろ、アーチャーをなんだと思ってるんだセイバー、桜。
リュックに、弁当水筒ピクニックシート、ちり紙ハンカチ、あとアチャを詰めた。
「はい、確認します。来たときよりも?」
「美しく」
「家に帰るまでが?」
「お出かけです」
「よろしい」
玄関まで二人を見送りに出ていると、起き抜けらしい遠坂もやってきた。
「二人で出かけるんですって?」
アーチャーはふんと鼻を鳴らし。
「ああ、多少はふりでもせんとな、これがいらん気を回す」
うるさいなぁ、いらん気ってなんだよ。
「士郎に心配をかけるのは良くないからな」
アーチャーの背負ったリュックから顔だけ出したアチャは、神妙な顔をすればするほど可愛らしい。
「…変な団結してないで、のんびりしてこいよな…」
「ああ、行ってくる。夕飯までには帰る」
「士郎、行ってくる」
笑って
「いってらっしゃい。気を付けてな」
遠坂も、笑って
「いってらっしゃい…楽しんでくるのよ」
「さて…」
表に出ると、アーチャーは少し考え込んだ。
「お前、行きたいところはあるか?」
端から見るとリュックサックに話しかける怪しい青年だが、幸い人通りはなかった。
「…ふん、ただの外出とは思っとらん。話があるのだろう?」
リュックの口からごそごそと顔だけ出して、アチャはなかなかシリアスなセリフを吐いたが、いかんせん可愛らしすぎて決まらなかった。
「分かっているなら話が早いな…商店街近くの公園でよかろう」
「ああ。しかし士郎に聞かせたくないばかりにわざわざ家を出る辺り、お前も人のことは言えんな」
「やかましい、頭を隠していろ、移動する」
ちょっとばかり生意気を言ったアチャの頭を、リュックの口に押し込むと、アーチャーは公園を目指した。
のだが、
「ふむ、あれはおもしろいな…」
「ああ、ちょっと他に思いつかないくらい面白いぞあれは…一体何がどうしたんだ?」
「追うぞ狗、少々興味が湧いた。場合によっては午後の予定に組み込む」
「ま、おもしろそうだしな、付き合うぜ」
怪しいと言うには余りにも派手な二人組が、アーチャーとアチャの後を追っていった。
まだ少し時間が早いせいか、公園の人影はまばらだった。
一番奥に並んだベンチにアーチャーは座り、隣にそっとリュックを下ろした。
「まったく、少しは余裕をもって歩きたまえ…」
リュックから出てきたアチャはふらふらしながらも、小さいなりの威厳を保って、ちょこりとアーチャーの隣に座った。
一時彼らは、黙っていた。
アーチャーは質問の切り出しを考えていたし、アチャはそれを待っていた。
「…そうなのか?」
やがてぽつりとアーチャーが言った。
著しく説明を欠いた質問だったが、アチャははっきりと
「そうだ」
と、答えた。
ふぅと、アーチャーの口から漏れた。
「まったく…難儀な」
「…面倒をかける」
二人の間に、それで了解はなったらしい。
「アレはあまり慣れていない。多分泣くこともできんぞ、あの甘ったれは。泣き方も知らんのだからな」
どこか苛立ちを含んだ声で、アーチャーはアチャを責めた。
「…そうか」
俯いたアチャの隣でしばし無言、やがて息を継ぎ、
「…お前の痛みはアレの痛みと知れ。後悔はするな、お前はそういうモノなのだからその在り方を恨むな」
ただその言葉にだけは顔を上げて、
「それは…もとよりだ」
「ならばいい」
二人はまた、少し黙った。
日が少し高くなってきていた。
(さて、目的は達したがこのまま帰るわけにもいくまい)
まだ午前中だ、時間を潰して帰らなければ怪しまれる。
ついでにこいつと、多少意思の疎通を図るのもいいかもしれない、アレも気を回している…とアーチャーはアチャに向き直った。
「おい、時間もあることだ、話をするというのもいいと思うのだが」
「ああ、私もそれには賛成だ」
「ここでいいか?」
「構わん。話をするのに、何処でも同じだ」
ベースが同じ二人なので、このままここで金の掛からない外出に終始しようとしたその時、
「ねーお兄ちゃん、何してるのー?」
「んー、ごめんなーお兄ちゃん今ちっと忙しいからなー」
耳ざといアチャは、ふと顔を向け、
「…あれは君の友人ではなかったかな?」
「む…?」
アチャの視線の先はツツジの植え込みだった、が、
アーチャーは口の端を急角度に引き上げた。
「ほほう、青やら金やらの色を咲かすツツジとはな、珍しい。しかもずいぶんと早咲きのようだ」
アチャはそんなアーチャーをちらりと見上げ、
「いやあれはきっと君の友人の…」
アーチャーはアチャの言葉を制して、虚空から愛弓を引っ張り出した。
穏やかな口調で、生き生きと矢をつがえる。
「悪いがね、私には植え込みから人の話を盗み聞きする友人はいないのだよ」
楽しげに引き絞った弓の狙いを植え込みに合わせた。
「まったく、私といい今回といい、君には大人げというものがないのか」
アーチャーは真顔で、
「そんなモノはね、君の飼っている青虫の腹の足しにもならんよ…」
ぽすっと軽い音がして、植え込みから黒煙が上がった。
「煙ばかりだな…」
評するアチャに、アーチャーはふふんと笑い。
「アチャ、君は雷さまコントを知っているか?」
「…実に鬱屈しているな、君は」
アチャはあきれ顔である。
光の御子と英雄王のアフロヘアーはなかなかどうして様になっていた。
ちゅんちゅんちゅんと、雀が鳴いてる長閑な公園。
その片隅に、アフロになった人類最古の英雄王とアイルランドの光の御子、対するは抑止の守護者とリュックから顔を出しているホムンクルス。
両者無言で睨み合うも。
『竿屋ぁ〜竿竹ぇぇぇぇぇぇぇ…』
『…古新聞・段ボールなどございませんでしょうか…』
竿竹屋とちり紙交換の軽トラが、背後を通過して行く。
「むう、妙なもんがいるが、臓硯さん、ありゃなんだね?」
「すまんな正さん、わしも最近はすっかり目の調子が悪くてのう…」
「ああ、私知っていますよ…若い人はああいう髪型が好きで、家の孫もブロマイドを壁に貼ってねぇ…」
「へぇぇ、あんなもんがねぇ…」
「最近の若いもんのことはわかりませんのう…」
すぐ隣を、ゲートボール場へ向かう老人会の皆様が通過して行く。
「……」
「……」
「……」
「……」
…時間はどこまでも長閑かつ間抜けに過ぎていった。
「で、何の用だ?大アフロ・小アフロ」
シリアスな口調で問うアーチャー。
大アフロはランサーで、小アフロはギルガメッシュ。
それぞれの髪の長さがアフロの大きさを分けたが、この場合明暗が分かれたと言うより…
「アドバルーンお化けと怪人大仏ダーだよー!お母さん見て見てーー!!」
「しっ…指さしちゃいけません!向こう行くわよ」
子供の手を引いて遊具の方へ避難して行くお母さん方、賢なる判断といえる。
「それぞれが平等にみじめだな…」
「……」
「……」
アチャが言ってはいけない一言を発し、なんでだかアーチャーは誇らしげに胸を反らした。
揃いも揃って馬鹿ばかりである。
「ふっ…」
しばしの沈黙の後、ギルガメッシュはくぁ!と目を見開き。
「ふははははははははは!!気に入った…気に入ったぞ!贋作者とその…えーと、なんだ。…おい、狗、あれはなんというのだ?」
ギルガメッシュ、ランサーをつつく。
「なんで俺に聞くんだよ…アーチャーのちっせえ奴だろ?…小アーチャーとかミニ弓とか…」
しゃがんでこそこそと話し合うアフロ組。
「…アチャだ」
むすりとアチャが告げた。
「ふむ、そうか。贋作者、アチャ、くるしゅうない、お前達に同行を許す」
腕を組んで、偉そうに…王様だから偉いのだが、偉そうに通告する。
すでにそれは決定事項、というか許可までされたらしい、なにも頼んだ憶えはないが。
アーチャーとアチャは置いてけぼりである。
「何の話だ…?」
こいつに常識とかそういう諸々は通用しないと知ってはいたが…とこめかみを押さえつつ、アーチャーが質問した。
「ふ、我の余技に加わることを許すと言っているのだ、謹んで受けるがいい」
やはり王様語は、平民には理解不能である。カルチャーとジェネレーションとその他沢山のギャップによって、最後まで意志の疎通は阻まれた。
「いや…そのな、こいつはお前達を遊園地に誘ってるんだ」
なぜだか申し訳なさそうに、ランサーが王様語を通訳し。
「「はぁ?」」
余りに意外な話に、不覚にも二人の声はハモったのだった。
「一体どういう事なんだ?」
「ふっ、我はある暇つぶしに執心していてな、その下見に同行を許すと言ったのだ」
「ランサー、通訳してくれ」
「あー、あのな、こいつテーマパーク作ろうとしてるんだよ」
「……」
アーチャーが眉を顰める。
「テーマパークというと…あのテーマパークか?」
「おうよ、いい暇つぶしになるって聞かねぇし、ま、面白そうだからな、俺も付き合ってる」
さすが王様、暇つぶしのスケールが平民とは違う。
「なるほどな、その視察というわけか」
スケールの大きさは馴染まないが、一応理屈は通っていた。
「屋内型のプールにするか、屋外型の遊具施設にするか決めるんだとよ」
ギルガメシュはふんぞり返り、
「まぁ二つ並べて作るのもよいが、物の試しにまず一つだ」
「なぜ私たちを?」
アーチャーの肩に乗っかったアチャが尋ねた。
「屋内屋外いずれにしろ、レジャー施設を最もよく利用するのは親子連れよ。その親子連れの忌憚無い意見を取り入れたかったのだが、いかんせん我の周りには連れ添いと子供が居るような甲斐性のある奴が居らぬ」
「わーるかったな…」
ランサーがぼやく。
「そこで貴様らだ!!…そう言えば雑種の姿がないな、どうした?逃げられたのか?贋作者」
不可解だ、と言わんばかりのギルガメッシュを、アーチャーは不機嫌に睨み。
「なぜそこで士郎の話がでる…」
「へ?そいつの母親、坊主じゃないのか?」
ランサーが心底意外そうに叫んだ。
「お前それはまずいだろ…これだけ似てるとなると言い訳不可だぞ?」
ギルガメッシュも、何かに納得するようにうんうんと頷き。
「なるほど…家を追われてここまで来た訳か。お前もなかなか苦労するな贋作者、しかし浮気はいかんぞ浮気は」
「君だけには言われたくないな英雄王…って違う!!こいつは私の子供では無い!!」
アーチャーは叫んだが、そのアーチャーに二人は非難の目を向け。
「おいおい、いくらなんでも子供の前でそれはないだろ…気にすんなよ?父ちゃん、母ちゃんに振られて取り乱してんだ」
フォローを入れるランサー。
「うむ、子供に罪はない!見下げ果てたぞ贋作者!!」
子は国の宝ぞ!とアーチャーに説教するギルガメッシュ。
ランサーはアーチャーからアチャを取り上げ、高い高いなんかやっている。
「…君たちは人の話を聞き給えっっ…!!アチャ、君も何か…」
ランサーがアチャに話しかけている。
「アチャ、お母さんどうしたんだ?」
「士郎は私の母親ではない、だから私は士郎と呼んでいる」
「そっか、じゃあ士郎はどうしたんだ?」
「家にいる…士郎は私にも優しくしてくれたし、アーチャーが私のことを認めなくとも、恨んだりしなかった」
なんて、アチャがちょっと遠い目をしながら語っている。
あながち真っ赤な嘘でもないのが恐ろしい。
「こら!アチャ!君は…!!」
そんなアーチャーの肩に、英雄王はぽんと手を置き。
「まぁ、みなまで聞こうとは思わん。ただしばらくは家に帰り辛かろうし、付き合っておけ。アチャにもそれがいいだろう…」
しみじみと目を閉じたりなんかしている。もしかしなくてもアーチャーは、ギルガメッシュに憐れまれているらしい。
英霊もそこまで落ちたらおしまいだろう。
「人の話を聞けぇぇぇぇぇぇ!!」
公園にアーチャーの叫びが轟いた。
「ん…」
「どうしたんですか?先輩」
「なんか今アーチャーの声がしたような…」
「そうですか?お帰りになるには早いと思いますけど」
「そうだよな、きっと空耳だ…そろそろ昼にするか、遠坂は昼には戻るって言ってたよな?」
「はい」
「じゃあ支度するか。しっかし…んー…ほんと、良い天気だな」
今日は快晴。
「そうと決まれば時間を無駄にする手はない、行くぞ狗!贋作者!アチャ!」
「なんでアチャだけが名前なんだ…じゃない!私は行くなんて一言も!!」
風も良い感じ。
「よーしアチャ、今日はお兄さんがみんな奢ってやるからな〜」
「ああ…ありがとうランサー…今度は士郎も来られるといいな…」
「くうっ…いい子じゃんか!おいアーチャー、お前垂らしもいい加減にして、そろそろ坊主と…」
「君はさっきから何を言ってるんだ!!」
三馬鹿英霊はマスコットを連れて、一路テーマパークを目指すのだった。
音と光の洪水、非日常的に着飾った人々が、この世全ての幸福の中に居るんだよと笑いながら行き過ぎて行く。
それでいい。
ここはそのための、そのためだけの場所。
昼の光の中では霞むささやかな夢も、ここでなら煌めいて飛び立つのだ。
「大したものだな…」
目の前の光景に、嫌々付いてきたアーチャーさえ素直に感動を示した。
「ふむ、親子連れと男女のカップルが半々…女のグループも多いな…」
ギルガメッシュはリサーチに余念無く。
「へー、そんな遠くから来てんだ?俺?俺はさ、今日初めて。ホントホント、お上りさんなんだよ」
ランサーはナン…本人言うところの、異文化コミュニケーションを積極的に行っている。
そしてアチャは。
「……」
目の前の、光と音の洪水をじっと見つめていた、まるで写し取るように。
決して忘れないように。
目的のテーマパークに着いたのはもう黄昏時だった。
「遅くはないか?」
訝るアーチャーに、ギルガメッシュは「何、予定通りだ」と自信満々だった。
どうやら彼は、名物の夜間パレードを狙ってやってきたらしい。
たしかにそれは…素晴らしいものだった。
数々の御伽話を模したパレードの山車が、華やかな光と音をまき散らしながら目の前を行く。
人の作り出した、夢の国。
「……」
「どうかしたか?アチャ」
「いや…士郎もやはり一緒にくれば良かったな…」
呟いたアチャに、
「…そのうち、また、来れば良かろう」
アーチャーはぶっきらぼうに答えた。
「それは…」
言いかけて、アチャは飲み込み。
「ああ、そうだな、いつかまた、みんなで来ればいいんだ」
そう、しっかりと声に出した。
煌めきに、人の群れの影法師が地を流れて行く。
ざわめきは音楽のよう。
「御伽話を模してあるな。オーロラ、ベル…」
「あれは…シンデレラか」
真っ白な四頭立ての馬車に乗るのは、灰かぶりのお姫様。
「今夜はあの御姫さんが、お城で結婚式だとさ」
のんびりとした声が掛かり、見上げたアチャにランサーはカップ入りのアイスクリームをほいと渡した。
「ちょっとでっけえか?」
「いや、ありがとう」
アイスクリームはキャラメルプリンだった。
アチャが何だか納得いかない顔で呟いた。
「…なんで知ってるんだ…」
「なんか言ったか?」
「いや…」
アチャは黙ってアイスクリームを口に運んだ。
「結婚式というのは…」
「なんか今日は特別なんだとさ。さっきの女の子が教えてくれた」
ランサーが大雑把に説明してくれた。
なるほど、このパレードはシンデレラの輿入れというストーリーの一部であるらしい。
「…昨日、セイバーがシンデレラを読んでいたな」
「セイバーが?」
「イリヤに読んでくれと頼まれたから私が読んだ…いつもは君が読んでいるそうだな、アーチャー」
「…そんなことはどうでもいい」
アーチャーがアチャを睨む。
「縁側で読んでいたんだ…そうしていたらセイバーがやってきた」
「実際に王であった君には、面白くもないのではないか?」
アチャがそう尋ねると、
「それは偏見ですね。たとえどんな立場の女性でも、自分の王子を夢見ない者はいない」
そうきっぱりと言った。
「意外だな…」
「形は違えど、生涯を共に暮らす伴侶が何時か目の前に現れるという期待は誰にでもあるのではないですか?」
そう言って、なんだか嬉しそうに、挿絵のガラスの靴と台所に立つ士郎の後ろ姿を交互に見つめていたとかいないとか。
「…なるほどな、彼女にも年相応のところがあったか」
「あんのセイバーがねー…」
アチャの話に感心して聞き入る二人。
そして、
事件は起こった。
「ふむ、セイバーはあれを欲しがっているのか…」
「………」
「………」
「………」
やはり英霊とそのコピーとなると、第六感もたいしたものだ、ほぼ同時に三人が三人とも背筋を駆け上るモノを感じた。
「ガラスの靴…か、そのようなみすぼらしい物は我が宝物庫に存在せぬが…。象徴物、セイバーにも可愛らしいところがあるな」
それはよく分かるよ英雄王、いつもは冷たいあの子が意外とロマンチック…なんて聞くとなんだか嬉しいよね、喜ばせてあげたくなるよね。
でもさでもさ、他人を巻き込むのは良くないと思う…
「我は王だ、下賤の者が王に尽くすのは当然よ」
ギルガメッシュは一言で断じ。
「狗、贋作者、献上を許す、取ってこい」
やらなきゃ暴れるぞーと、にやりと笑って見せた。
「今夜っは〜、クリームシチューと〜、カボチャのコロッケ〜♪」
士郎は上機嫌で鍋をかき回している。
先ほど電話があり、なんとアーチャーとアチャが遊園地に行くと言うではないか。
『…晩までには帰るから、用意はしておいてくれ』
(なんだかんだで上手くいってるじゃないか、良かった良かった…)
そして士郎の喜びは桜の幸せである。
「私っは〜、カニかまとキュウリのサラダっを〜、作ります〜♪」
とんとんと、包丁のリズムも弾んでいる。
「…楽しそうね…」
凛と連れだって、衛宮邸にやってきたイリヤが、呆れ気味に台所を覗いた。
「イリヤさん、姉さんに味を見て頂きたいんですけど、そちらにいらっしゃいますか?」
「うん、いるよ。ねぇ、凛。凛ったら…」
やがて、凛が台所に現れた。
「あ、姉さん…どうかしたんですか?」
何だか凛の様子がおかしい。
桜が心配して近づくと、凛は黙ってテレビを示す。
「?」
とととっと、テレビを覗きに行った桜が、
「せっ先輩!来て下さい!大変です!!」
『○×市のテーマパークに現れた強盗は、ナイトパレードからガラスの靴を奪って逃走…』
夜のニュースは、パレードに現れて姫の靴を奪っていった怪盗の話題一色だった。
「何やってんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!この馬鹿野郎どもぉぉぉぉぉぉ!!」
玄関先に士郎の絶叫が響く。
アーチャー、アチャ、ランサーは粛々として聞いている、珍しい光景だった。
一人ふんぞり返っているのはギルガメッシュ、柳に風よと士郎の叫びを聞き流し、
「セイバーは何処にいる?」
「…奥だ、ご飯食べてる」
何故か士郎は、黙ってギルガメッシュを通した。
「な…坊主!それはないんじゃないか?」
抗議するランサーを、士郎はじろりと睨み。
「…ギルガメッシュには、セイバーがやりたいってさ」
「は…?」
ランサーが惚けた瞬間、
「エッ…クスカリバァァァァァァァァァ!!!!!!」
どごぉぉぉぉぉぉぉぉん………
今まで聞いたこともないような、セイバーの気合いと共に、閃光が一瞬玄関先まで届いた。
「あれがいいってんなら止めないが、どうする?」
にこりと笑う士郎に、ランサーは返す言葉もなく、お説教を聞いたあとしっかり晩ご飯を馳走になって帰っていった。
「ったく!捕まらなかったからよかったものの…身元引き受けに行くの嫌だからな、俺」
士郎はプリプリしながらアチャの布団を敷いている。
ちなみにアチャは、士郎の文机の下を寝室にあてがわれている、寝ぼけて踏んだら大事だからだ。
「…済まなかった、士郎」
アチャはしょんぼりして、机の上に正座している。
「…まぁ、アチャはいい、どうしようもなかったろうし」
「いや、事の成否に関わらず止めるべきだった」
自分に厳しいちっちゃいのは、悄然と項垂れ、なんだか見ている方が切ない風情だ。
「もういいから、明日の朝も庭の見回り頼んだぞ」
士郎は、ごく自然にその頭にキスをすると、ぽんぽんと敷き終わった布団を叩いて見せた。
「……」
アチャはびっくりして士郎を見上げ、顔を少し赤くした。
「あ…士郎、これを」
「ん?あれ…これ…」
それは小さな小さなガラスの靴。
「触ったからな、作れるんだ。私の魔力では一晩も保たないが…」
きらきらと美しく、夢のように儚い。
それはまるで…
「ありがとうな、アチャ」
「…おやすみ」
アチャは振り返らずに、机の下に潜り込んでしまった。
「……」
(なんでオリジナルと違って、あんなに可愛いんだろうな…)
衛宮邸にまた、静かな夜が訪れる。
手のひらの、儚い輝きを、士郎はじっと見つめていた。
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四日目
嵐の前の静けさ、とはよく言ったもので、何か大事が起こる前というのは大抵普段より穏やかな時間が過ぎてゆくものだ。
しかしそれはあくまで表層であって、一見しただけでは窺い知れない空の向こうには黒雲が立ちこめているかもしれない。
どこぞの・・・どこぞの教会だとかたとえば仏間の片隅だとか、そんなところで災難の種か芽吹き始めているかもしれない。
未来は…誰にも分からない、ただただ、祈るだけ。
それはとてもとても穏やかな夕暮れ時。
彼方の山の端に、蜜柑色の夕日がとっぷりくれようとしている。
マウント商店街で夕飯の買い出し、今夜のメインディッシュの構想を、士郎は未だ練り上げられないまま歩いていた。
春の夕方は気怠いものだ、しかし今はそうでも日が沈めば多少は肌寒くなる・・・士郎は少し歩調を早めようとした。
「待ってください、士郎」
不意に声をかけられ、士郎が振り向く。
夕日の茜色を纏って、ごく親しい間柄の絶世の美女が佇んでいた。
「すみません、驚かせましたね」
士郎は目を見張った。今日彼女に会うのは初めてだ。
「ライダー、どうしたんだ、今日は家で食べてくのか?」
「いえ、慎二が待っているので今日は帰ります」
ライダーは桜に頼まれて、専ら慎二のお目付け役をしている。
以前のような主従の関係でなく、あくまで目付け。放蕩が過ぎれば実力行使。
桜が、良と否の線引をどこでしたのかは知らないが、最近学校で出会う慎二の顔色が悪い気はしていた。
「そっか、まぁ慎二のことはよろしく頼む。怪我しない程度にしてやってくれ」
「それはもちろん、桜の頼みですから」
相変わらず、彼女の世界の中心は桜のようだ。いや、サーヴァントは皆そうか・・・士郎には、それがときどき眩しい。
「あ、じゃあ桜に用事か?」
ここは衛宮家前の通りなので、彼女は衛宮家に用事があるに決まっているのだが。
「いえ、今日はそうではない。・・・これを渡しに来ました、慎二から貴方にです」
「俺に?」
ライダーは驚く士郎に、縮緬の風呂敷包みを渡した。
ずしりと重くて・・・ん?温かいな・・・
「何これ?」
「慎二が作りました、ビーフシチューです」
「な・・・!」
慎二が!あの縦のものを横にもしない慎二が!!
彼女の言葉に偽りのあろうはずもないが、それはそれは・・・
「最近慎二は人間不信気味なのです。私の料理に毒が盛られていると言いだしまして・・・」
「む、そりゃひどいな」
「失敗のないように、私にもなじみのある食材を使うなどして気を遣ったつもりだったのですが・・・」
何がいけなかったのか・・・なんて考え込んでいる。
古代の女神さまなじみの食材・・・興味は多々であったが士郎はあえて尋ねなかった。かわりに胸の中で、そっと慎二に手を合わせた。
「んで、これなのか」
「ええ、『ま、僕の手料理なんて超レアだし?今度後輩の女子に振る舞いたいから、まずは衛宮で試してみよっかなってことで』だそうです」
「・・・まぁそんなところだろうな」
少し風呂敷をめくると、タッパーが見えた。
「材料にも手順にもおかしな点は見受けられませんでした、毒味も済ませてあります」
「見てたのか?」
「常と違う行動を取ったら監視するよう桜に言われています」
「そうか・・・」
なんだか、慎二の身の上が透けて見えるようなビーフシチューだな・・・と士郎は思い、再び慎二に手を合わせた。
「じゃあこれはありがたくいただいとくよ、タッパーと風呂敷は桜に預ければいいかな?」
「はい」
頷いたライダーは立ち去りかけ、ふと足を止めて振り向いた。
「士郎、なんだか今日は"騒がしい"」
「え・・・?静かなモンじゃないか」
静かな夕暮れだ、普段は響く車の走行音も、鳥の声も…不思議なくらい…静かな…
「静かすぎる。雑音とはイレギュラーなもの、不自然な静けさがあるならそれも雑音です」
「・・・」
「海に嵐が来るときと同じ気配です、お気を付けて」
そう言い残して、いつの間にか黄昏た菫色の中を、彼女は帰っていった。
残ったのは、耳が痛くなるような静けさ…
「ってことがあったんだけど・・・」
「そうですか。確かにライダーは大抵お天気当てちゃいますけど、それは違うことみたいですね」
台所でシーザーサラダの制作を行ないながら、士郎は先程のライダーとの一件を桜に話していた。
「でも、兄さんがお料理するなんて・・・」
「ああ、これで桜も慎二にかかる手間が減って嬉しいだ・・・」
「・・・私以外の人が台所に入るの、嫌だって言ったのになぁ、兄さんたら・・・ふふふ」
士郎は手元でかき回されているビーフシチューをじっと見つめた。
慎二のビーフシチューは、凛とセイバーの「問題ありません」を見事に勝ち取り、今夜の食卓に供されることとなっている。
(頑張れ慎二・・・こんなに旨いビーフシチューが作れるならきっと・・・多分…大丈夫だ・・・と思う)
どうやら今年は、慎二にとって試練の年になりそうだ。
「士郎、今日はイリヤも食べてゆくそうだ」
その、当のイリヤに抱っこされてアチャが台所に現れる。
「どう?あいつの手料理のことだから爆発かなにかしたんじゃないの?」
「凛、縁起でもないことを言わないで欲しい」
凛とセイバーがシチューの香りを嗅ぎつけてやって来た。
「風呂の支度はしてある、一番風呂に入りたい奴が入れろ」
相変わらずむすくれたアーチャーが襖を開けて宣言する。
「藤村先生は・・・」
「今日は少し遅くなるってさ」
「そうですか、じゃあ今夜は"みんな"揃うんですね」
みんな・・・
「ああ、そうだな。みんな、だな」
士郎は久しぶりに、心穏やかなものを感じた。
それがなんなのか、士郎は不慣れなせいで知らない。
それは幸せと言う。
「・・・幸せか、衛宮士郎」
声が、した。
「ん?誰かなんか言ったか?」
「え・・・私は何も」
「ふ・・・ささやかな幸せの実感など一生できぬ者同士と考えていたが・・・」
声が…
「・・・あの、桜」
「・・・聞こえました」
ねぇ、神様。
この世にあり得ないことがあるとしたら、これはその一ではないですか?
私はあの人の、臓物の温みを知っている。
最後の一息を浴びた者。
全員が一斉に振り返ったその先に。
「・・・どうかしたのか?」
真黒な男が一人。
「そう驚いてもらってもな・・・期待には応じかねる」
注目の中、神父は悠々と茶を啜る。
忘れもしない、真黒な法衣に金のロザリオで縛った外道の体。致命的に相容れない、この世でただ一人。
頭の中に再生されるイメージ、臓物を突き破って、体の芯にあるものを引きずりだすその腕を知っている。
「なんで・・・あんたが」
「シロウ!下がってください!」
士郎の擦れた声を押し止めて、武装したアーチャーとセイバーが飛び出す。
凛・桜・イリヤが身構え、茶の間が緊張に包まれた刹那。
「ほう・・・」
ちっちゃな陽剣干将・陰剣莫耶を投影したアチャが、言峰が平然と茶をすすっている卓袱台に飛び乗った。
「用があるなら話せばいい、無いなら帰れ」
「・・・すでに地上を離れた私の魂に帰る場所などあるものか」
「死んでいるのか?」
「死人が動き回るなど、外法の極みだがね。今私は、神の使わしめたる崇高な使命を負い、実行しにきた代理人・・・すなわち」
言峰は言葉を一瞬切ると、
「すなわち・・・私は天使だ」
「「「なっ・・・!!!」」」
驚くべき台詞に、全員が驚愕した。
「そんな・・・そんな恐ろしいこと!!」
「でも姉さん、見てください、あれは・・・!」
桜が示した先は、言峰の頭の上。
「天使の・・・!!」
「遠坂、どう見てもパルッ○だ、パ○ック」
言峰の頭上で輝くのは、とっても長持ちで経済的なパルッ○36センチタイプだった。
士郎の冷静な指摘にも言峰は動じず。
「見苦しいところを見せてすまんな。急な指示でね・・・なかなか便利だぞ?目にやさしいグリーンだ」
そう言って取り出したハンカチでパルッ○を軽く拭く。
(意外とやっつけなのか神様…?)
全員が心の中でそう思ったが、いかんせん頭に乗せている本人が涼しい顔をしてるのでかえって突っ込みにくい。
「どうするのよ、士郎」
「どうするも何も…大体こいういう時ばっかりずるいぞ遠坂」
しばらく、躊躇いと逡巡が混ざり合った微妙な空気が場を支配した。しかし、いつまでも遠巻きに眺めているだけでは埒があかない。
仕方なしに、一番近い位置にいたアチャが口を開いた。
「用はなんだ?」
ちっちゃな夫婦剣で詰め寄るアチャに、言峰は両腕を開いてみせた。
「戦意はない・・・君が望むなら別だがね」
おどけたしぐさに、凛が青筋を立てた。
「…一体なんなのよ」
「衛宮士郎、アーチャー、アチャの在り方に関わる問題だ」
「なんの話なの…?」
重々しく卓袱台に肘を立て、手を組むと、言峰はアチャの顔を覗いた。
「アチャ、君は衛宮士郎からアーチャーに流れた余剰魔力が、何かの拍子に形を現した存在だということだが・・・」
その質問に答えたのは、アチャでなくアーチャーだった。
「その通りだが、それがどうした?」
アーチャーはアチャを捕まえてイリヤに渡し、言峰の前に立ちふさがった。
「そう怒るな、私は神のしもべ、生まれ来る全てを祝福する事が務めだ」
瞳を閉じ。
「主は同性の交わりを禁じられたが、それは何も生み出さないからだ。衛宮士郎とアーチャーの間にはアチャが生まれた、何も問題はない」
「・・・べ、別に産んだわけじゃない」
あからさまな言われように、士郎が顔を赤くする。
「しかし君たちには情がある、家族としての繋がり、とでも言おうかな?」
「それは・・・」
士郎が詰まる。思わずアーチャーの背中をじっと見つめた。
「アーチャ・・・」
「貴様に言われるまでもない、当たり前だ」
「・・・・・・!!」
「・・・桜、今の見た?今の」
「ええ、先輩の背景に花が飛びました、確かに」
「ふ・・・私には理解できぬ感情だが、それは主の望まれたもの・・・」
重々しく頷き、そして
「選択の時だ、衛宮士郎」
「なんの話だ…?」
「わかっているだろう?」
沼の底を覗くような瞳が士郎を捉えた。
「衛宮士郎、お前は選ばなければならない、作り出した者として」
「だから何を・・・」
「お前たちの形を、だ」
声はすでに神の代理としての威厳に満ちつつあった。心臓を掴み出そうとするそれが、士郎は苦手だ。
「形の整わないものは長く保たない」
「・・・何が言いたい」
「そのままの意味だ・・・そう睨むな」
「勝手ばかり言われてもな。第一そうだとしてもそれは私たちの問題だ、君の神にどうこう口出しされるいわれはないな」
睨み付けたままのアーチャーに、言峰は少し笑ってみせた。
「短気だな、まぁいい。ただ、話くらいは聞きたまえ、これは私の専門領域だ」
厳かにそう言うと、懐に手を入れた。
アーチャー・セイバーが構える・・・
「さあ、選ぶがいい、衛宮士郎」
「・・・・・」
「ふ、時間はあるからな、ゆっくりと選ぶといいぞ、予算の問題もあるだろうしな」
「・・・あの」
「どうした?アーチャーもアチャもこないか、お前達にも大切な話だぞ」
「・・・あのさ、言峰、これは・・・」
「なんだ、見て分からないか?」
言峰は少々得意げにふっと笑い。
「これはな、当教会が誇るウェディングプラン計8コースのパンフレットだ」
「「「「「・・・・・」」」」」
七人は一斉に倒れ臥した。
半時後。
「ふーん・・・ねぇねぇ士郎、このキャンドルプランっていうのがいいんじゃない?」
「そーだなーイリヤ。あははははは・・・」
「あ、でも先輩、こっちのプリンセスプランは二ヵ月前予約で30%オフですよ!」
「料理は総てホテルからですか・・・立食形式も悪くないですね、シロウ」
士郎はイリヤ・セイバー・桜に囲まれて目を泳がせている。
一方凛・アーチャー・アチャに取り囲まれた言峰は、依然として落ち着き払ったまま茶を啜っていた。
「一体どういうことなのよ」
「どういうこともなにもな、こういうことだ」
「わざわざ士郎とアーチャーに嫌がらせしに来たわけ!?」
「嫌がらせとは心外だな、子供まで出来た以上いいかげん腹をくくって家族としての形を整えるよう勧めに来ただけだ」
「だから、私はホムンクルスであって二人の子供というわけではない・・・」
あまりに突飛な展開に、アチャは疲れた様子で卓袱台の縁に座っている。
「久しぶりに教会へ顔を出したら、ランサーとギルガメッシュがいてな。中華でも食べに行かないかと声を掛けたのだが、何故かお前達とアチャのことを教えられたのだよ」
「ちっ・・・売りおったか」
アーチャーが忌々しげに吐き捨てる。
しかし気持ちはわかる、死んだはずの極悪黒神父が突如現れ、"麻婆豆腐で祟り殺してくれる"と脅迫してきたのだからびびらないはずがない。
「そんなこと、あんたの神が許しても私たちが許すはずがないでしょうが!!」
「ふん、それこそ要らぬ世話。衛宮士郎本人達の問題だろう」
「この三人に関しては一切の決定権は私にあるのよ!!」
「ちょっと待ちたまえ、凛」
「なによ。士郎は私の弟子だしあんたはそのサーヴァントなんだから当然…」
「そうではない、今恐ろしい想像に行き当たったのだが…」
アーチャーは難しい表情をして、
「言峰は”神の使い”としてやってきた、”神の意志”は私と士郎の式、つまりこいつは私と士郎が式を挙げない内は帰らないのでは…」
「……」
ぎぎいっ、と音を立てて振り返った凛に、言峰はふっとニヒルな笑みを微かに浮かべ。
「まぁそういうことだ。ゆっくりと検討しなさい、今ならジューンブライドプランにも若干の余裕が…」
余裕綽々で三杯目の茶を淹れかけている。
「そっそんなこと…このわた…!!!!」
「そんなこと!!この僕が許さないからなぁぁぁぁぁ!!」
凛の叫びを遮って、轟いた絶叫。
方向からして、誰もいないはずの仏間から。
「え…今の何?」
「何でしょうか…知らない人の声…」
凛と桜は困惑した、しかし、
「…先輩?どうしたんですか?」
「……」
「イリヤ、どうしたって言うの?」
イリヤと士郎は、顔を見合わせ…その表情が凍っている。
セイバーも何かしら心当たりがあるのか、声のした方向を凝視している。
「シロウ…今の…声は…」
「…っ、お前達…まさか!」
アーチャーが感づいた。
さあ”ありえない”をみんな詰め込んでこの世界は回ってゆくよ、あり得ないなんて”ありえない”この世界。
「士郎ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!その極悪人間失格黒神父にだまされちゃ駄目だよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
どたどたと、やたら重めな足音が廊下を近づいてくる。
何年経っても忘れない、この世の果てに行っても忘れられなかった人よ。
士郎が、座布団を蹴立てて立ち上がった。
「…じいさん…」
嘘みたいな、信じられない、あるわけ無いこと。
襖が、開いた。その人は、居た。
「士郎!僕と約束したよね!?可愛い家庭的な奥さんもらってくれるって!」
「…家庭的かどうかで言えば問題なく及第点だぞ、可愛気も…まぁそこそこだ」
「黙れ似非神父!!」
仏壇を背負い、白装束は左前、紙烏帽子が少し曲がっていた。
生前、何度も何度も士郎が言ったのを覚えていたのだろうか、彼は急いでいたけれど、襖は随分丁寧に引いたのだ。
月が欠けて、盛りの花がやがて散って。
夢は覚めて、魔法が解けて。
また一人、ここに
「士郎!おっきくなったねぇ」
切嗣は士郎の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
温かい手のひら…
「・・・死人がしゃべるな」
「・・・君もね、言峰」
二人は向き合う。
「…君は本当に、十年前と何にも変わらないよね。辛気くさい顔して一人でぶつぶつ言ってるばっかだし」
「お前もな。何人殺そうとお前には日常か、衛宮士郎の作る夕食の献立ほどにも、興味などないのだろう」
「なんで君がうちの士郎を呼び捨てにしてるのかな?そちらの可愛らしいお嬢さん達ならともかく」
「ふん、私が衛宮士郎を衛宮士郎と呼ぼうと私の勝手だ」
「士郎が穢れるからやめろ!」
お互いに至近距離でメンチを切りつつ立ち上がる。
魔術師殺しVS埋葬機関出身。
「姉さん…」
「仲が悪いって…聞いてはいたけど」
セイバーは溜息を吐き。
「はい、十年前もあの調子で寄ると触ると小競り合い、仕舞いには効率が悪いとお互いに避け始めて、何とか戦争は終結しましたが…」
今明かされる、聖杯戦争の真実。
「これだから教会組は困るんだよ、暗いったら」
「ふん、フリーと言えば聞こえは良いが、単なる社会不適合者だろうが貴様は。そんなことだから息子が道を誤るのだ愚か者」
「んっんっん…言峰、君少しおしゃべりになったね」
「貴様のおかげでな」
暗雲立ちこめる茶の間。
しかし雷を落としたのは言峰でも切嗣でもなかった。
「いっ…いかげんにしろーーーー!!」
保護者の無様と言峰の傍若無人に、珍しく士郎が切れた。
「でかいのが二人で立ち上がるな暑苦しい!もうすぐ藤姉が来るんだからな奥に引っ込めーーー!!」
切嗣は喜色満面。
「あ、大河ちゃんも来るのかい?」
「会わせられるかバカ!」
ぐいと白装束の衿を引っ張って座敷の奥に放り込み、そ知らぬ顔で再び落ち着こうとしていた言峰も蹴り込んだ。
「士郎!こんなのと一緒にいたら僕禿げるよ!」
「・・・こちらのセリフだ」
「うるさい!カビみたいに突然湧いて出といて騒ぐなっ!藤姉に気付かれてみろ!」
「ほう、何をしてくれるというのかね?」
「この襖、外から強化で開かなくして、一晩二人で過ごさせるからな・・・!」
「・・・!」
「士郎それ地味に嫌・・・」
すぱあぁぁぁぁぁぁぁん!
何事か言い募ろうとした切嗣の鼻先で襖を叩き閉め、ようやく衛宮邸に静寂が戻った。
「な、なんだか・・・」
「今までになくワイルドな先輩でしたね・・・」
士郎はぱんぱんと両手をはたき、エプロンを締めなおしながら、
「構うといつまでもあの調子だからな、桜も遠坂も甘やかすなよ」
「わ、わかったわよ」
エプロンを翻し、台所に消えた。
やがて静けさが、舞い降りた。
コトコト、煮える鍋をじっと見つめていた。
「士郎」
「あ、アーチャー。悪い、もう少しかかる」
「いや違う、桜が手伝いを押しつけてくれた」
「?」
「”積もる話もあるでしょう?”だそうだ」
「あはは、気を使われたな、じゃあ食器頼むよ」
士郎が鍋のあくを取る隣に、アーチャーが並ぶ。
良い匂い。どこに消えたのか茶の間に人の気配は無く、静かだった。
「急に…なんなんだろうな、驚いたよ」
アーチャーはしばし目を閉じ、
「あんな…人だったか」
「やっぱり憶えていない?」
「うっすらと印象だけは残っていたが」
鍋の味見をした士郎は笑いながら、
「あんな人だよ、生活能力無くて、いっつも家にいるときはごろごろしてる…」
「……」
「半端じゃないんだ、生活能力無しっていうレベルがさ…俺が料理作るようになるまで、ずっとジャンクフードばっかりだったとか言うし、子供でも”やばい”って思うよな」
「……」
「手伝うって言うからまかせたら、コンロ爆発させた事があっただろ?あれから手伝い禁止にしたのに、いつも俺が家事やってるの見ててさ…」
「…士郎」
「いつもふらっと出て行って…ふらっと戻ってきて…ずっと一人だったから、置いていかれた人間がどんな気持ちかわかんないんだ、じいさんは」
笑顔が、いつの間にか耐えきれなくなって崩れそうになっていた。
項垂れて、鍋をかき混ぜる手が止まっていた。
「……」
アーチャーは鍋の火を止めて、士郎を自分に向き直らせた。
「士郎」
「アーチャー、俺どうすればいいのかわかんないんだ。じいさんが…じいさんなのに…じいさん死んだのに…」
「……」
何も言わずに抱きしめた。
ふつふつと鍋のつぶやきが響いている。
一方奥座敷では、切嗣が頭を抱えていた。
「ああ、よりにもよって自分自身と…うう、僕の教育が悪かったのかな」
「その通りだな」
「お前にだけは言われたくない!でもおっきな士郎まで見られて、得した気分だな。身長伸びたんだなぁ…」
落ち込みから一転、うっとりしている切嗣をへっと鼻先で笑い、しっかり持ち込んだ急須から湯飲みに茶を注ぎつつ。
「ふん、日和ったものだな…」
ずず…と茶をすすりながら。その声はどこか笑いを含んでいる。
その言峰を、切嗣は睨んだ。
「言峰、君がどこに目を付けているのか知らないが」
座敷の空気が変わる。
「十年前と同じくらいの働きはできるさ、今ここでだってね」
それはとりもなおさず、
「く…再び抉るか、この心臓を」
お前の心臓を、打ち抜くことくらいなら。
「気を付けろ、私は前より死ににくい…」
「死ぬのなら殺せる」
そう言って少し笑うと、伸びをし、「士郎まだかな」と時計を見上げている。
シンプルな回答に満足したのか、言峰は再び茶をすすった。
「…客だぞ」
「分かってるさ」
切嗣は笑顔で振り返った。
「いらっしゃいイリヤ、少しお姉ちゃんっぽくなったね…」
腕の中でじっと動かずにいる士郎を、アーチャーは随分抱きしめ続けていた。
記憶は無くとも記録はある、衛宮士郎にとって衛宮切嗣はアキレス腱だ。
整理を付けたはずの心の内に、入り込まれた衝撃で混乱している。
(こんな事が出来るのは…きっと)
故意ではあるまい、彼女も心を痛めている。
早く説明しなければいけないと、この数日間アーチャーは機会を待っていた。
しかし、事実を伝えるには余りにも、
(お前は楽しそうだったよ、士郎)
普段声を上げて笑うようなことは滅多にないのに、この数日何度その声を聞いたのか。
惜しかった、でももう時間。
ぽんぽんと背中を叩いてやった。
「士郎、夕食の後に行こう。大丈夫だ、お前の恐れているような事にはならない」
「…うん」
すん、と鼻を鳴らし、ようやく顔を上げた士郎は、安心したのと照れ隠しにふにゃと笑い。
「アーチャーあったかいな」
「……!」
…時折こういうことがある、そして大抵の人間がこれに参るのだ。
アーチャーは一瞬表情を凍らせたが、ちらりと茶の間を確認し、
「ふむ…」
「ん…へ?こら!アーチャー!!」
「誰もいないだろう」
「いるだろ!ってそういう話じゃない!おいこらやめろ!!」
「いないいない…」
迫るアーチャー、耳を引っ張る士郎。
犬も食わない攻防は、申し訳なさそうな声で中断された。
「あー……すまない、少しいいか?」
「アチャ…!?くっ…えいっ!」
「うおっ!」
コン!
アチャの声に慌てた士郎は、手近にあったお玉でアーチャーを大人しくさせた。
「な…なんだ、アチャ」
「すまない、私の手には負えん事態でな…」
「じいさんと言峰か?」
「いや、違う…セイバー達が、誰が切嗣に茶菓子を持って行くかで揉めている」
「なんだ、そんな…」
「すでにゼルレッチは出ているぞ」
「…アーチャー、行ってこい」
事態を察知したアーチャーは、這って台所から脱出しようとしていたが、鼻先の畳に包丁が突き立った。
「な…ゼルレッチが出ている以上エクスカリバーも桜のイドも解放済みだろう!私の手にも負えん!」
「出来る出来ないじゃなくて、やってこいっていってるんだアーチャー」
「なんでお前怒って…」
「アチャが後ろにいるの、わかっててやってだだろお前」
「……」
お見通しでしたかそーですか…
「んーーーおいしい!やっぱりご飯は士郎のお家がいいよう!」
「今日は少し量が多いんだ、しっかり食べてくれよ」
大河はおかずを口に運ぶ手を止め、ちゃぶ台に集うメンバーを見渡し。
「あれ、そういえば今夜はアーチャーさんがいないね、どうしたの?」
「風邪なんだ、奥で寝てる」
「え、そうなの?」
「ああ、でも風邪なのかインフルエンザなのか分からないから、今夜の見舞いは遠慮してくれ」
「そっかー、アーチャーさん体丈夫そうなのにね〜」
「すまない、私も出来ることなら加勢したかったのだが…」
「……」
「そう言ってもらえるとありがたい。…しかし、どうする?」
「……」
「そうか、しばらく休むか…」
道場の裏で、暗がりに声を掛けるアチャの姿があった。
まぁ…くじけずに頑張って欲しいものである。
夜と朝の間に、
しんと静かなよるだった。
凛も桜もセイバーもイリヤも、皆今夜は泊まっていっているのに。
みんな眠っている?それは違う。
夜を無駄にする魔術師はいない、そして廊下に部屋の隅に、そこかしこにわだかまるぴりりとした空気。
誰も、眠ってはいない。
静かな廊下を泳ぐように進み、そっと障子に手を掛ける。
「アチャ、じいさんに…」
部屋に入り頭に声をかけた士郎は、おやと目を見張った。
アチャが士郎の文机に腰掛けて、こっくりこっくりと舟を漕いでいたからだ。
珍しいこともあったものだが、今日は色々なことがあったし、アチャも疲れたのだろう。
だとすれば起こすのは気の毒か…と思案していると、アチャは気配を感じて起きてしまった。
「士郎…すまない、眠っていた」
「ああ、別に構わない。ただじいさんのところにいくからお前もどうかなって思ったんだ」
「切嗣に、か」
「でも、アチャが眠たいならいいんだ。俺とアーチャーでもいいから」
アチャは目をこすり。
「そうだな…済まないが、眠たくて仕方がないんだ。これではついて行ったところでなんになるとも思われん」
「わかった、今日は色々ありすぎたから、早く寝た方がいいだろうな」
士郎はさっさと文机の下に布団を敷いてやって、ふらふらしているアチャを捕まえて寝かしつけた。
「ここまでしてくれんでも…子供ではない」
「子供じゃないって言ってるうちは子供だってさ」
「なんだその屁理屈は…」
士郎はポンポンと布団の縁を叩きながら。
「じいさんが昔言ってたんだ。やっぱりアチャも憶えていないんだな」
「…私はアーチャーを基本にして造られた、だから、アーチャーが君であった時の記憶はアーチャーよりも薄い…」
たゆとうようなかすれた声、もうアチャはうつらうつらしている。
士郎は笑った。
「なら新しいこと沢山憶えられるな、アーチャーの奴は頑固な上に理屈っぽいんだ」
「そうか…そうだといいな」
消え入る声は少し笑みを含んでいた。
「…そうだといいな」
士郎は明かりを消して、そっと部屋を出た。
部屋を出れば、ほんの少し、肌寒い…
「じゃあ、行くか」
アーチャーを連れて奥座敷の前に立つ。
すっと襖を引くと、切嗣は文机に向かっていたのを振り返って「やあ」と笑った。
言峰は本棚のDIY関係の本を黙々と読んでいる。
「こんばんは、忘れられたかと思ったよ」
あっはっはと笑われて、士郎は呆れた。
「じいさん、あんたどんだけインパクトのある登場の仕方したと思ってるのさ…」
「んー、そうだっけ?いいじゃない、ここは一応僕の家…ってそういえばもう士郎の家かもね」
アーチャーが差し出した半纏を受け取って着込む。彼は登場時の白装束のままなのだ。
「ごめん、じいさんの服奥にしまったままでさ…」
「ううん、構わないよ。あんまりね、長居するわけにもいかないし、できないし」
言峰が視線を上げた。
「士郎が聞きたいことは知ってるよ、僕らがここに居るなんておかしな話だものね」
「……」
「彼女と、僕の話をしたんだろう?あと、弟がいたらどんな気持ちなのかって話を」
「ああ」
ほんの少し、前のこと。
天気がよかったから、イリヤの城の庭で話をした。他愛なくてとても楽しい話を。
「無意識だったと思う、とても驚いていたよ」
「やはりそうだったか」
苦い声。
「アーチャーはわかってたのか?」
「そもそもアチャが生まれた経緯が一切不明だからな。魔力は私たちのものでも、プロセスがまったくわからん」
「イリヤなら、それができるわけか」
士郎はふうと息をついて畳に腰を下ろした、アーチャーも続く。
「ひどく落ち込んでいたから、イリヤの事は責めないで欲しい」
「わかってるよ」
そして沈黙が降りる。
士郎はうつむいて畳の目を見つめている。アーチャーはその後ろで、口元を引き結んでいる。
そして切嗣は、どうしたものかと思っているようだった。
ふっと、また言峰が顔を上げた。
「…選択の時だ、衛宮士郎」
うっそりと低音が吐き出される。
「君は黙ってなよ」
「ふん」
言峰は再び、テキストに目を落とした。
「あのさ」
士郎が畳から、やっと視線を引き剥がした。
ぐっと、力をこめて切嗣と視線を合わせる。
「じいさん…もつのか?」
やっと吐き出された単刀直入な問いに、切嗣は首を振った。
「もたない、三人なんて無理だ」
明瞭な答えに士郎は顔を歪めた、アーチャーがかすかに身じろぎする。
「イリヤも歩き回らないようにして何とかやってたみたいだったけど、僕らもこうして出てきちゃったしね」
「魔力が足りれば…」
硬い声はアーチャーだ、彼はこれを信じてきた、しかし、
「駄目だよ…ホムンクルスは脆いものだ」
「そんな!」
「僕らは後から出てきたからもう少し居られるかもね…士郎、アチャはどうしてる?」
「…っ!」
アーチャーが立ち上がり、部屋を飛び出していく。士郎も続いていった。
白々とした蛍光灯の明かりの下に、男二人が残される。
「…あーあ、僕っていっつもこういう役回りだな」
にやりと笑い。
「業だろう」
「ふん…違いない」
『生き物を飼ったりなんて、しないの』
…残していくのはきっと辛い。
夜と朝の間に、静けさがざわめきに取って代り、何かが動き出す。
夢を見ている。
廊下からようやく白み始めた山の端を見上げていた。
少しずつ輪郭を取り戻してゆく世界が、眩しい。
「アチャ…」
呼ばれて振り返ると、スウェットと裸足がまず目に入る。首を思い切り曲げると、まだ少し寝ぼけた顔がやっと見えた。
「早いな、寒いだろ」
目の前まで来て、そしてわざわざ私を抱き上げる。
正面から、顔を覗きおはようと言う。私もそう返事をすると、満足した様子で今度は胸に抱く。
抗議しても、「だって寒いだろ?」と言って放そうとはしない。襖を開けて茶の間にはいると、石油ストーブを点けその前に私を置いた。
「君は…」
「俺は支度するからいいんだ」
そう言ってエプロンを取り上げると、直ぐに台所に入る。板張りは廊下も台所も同じだろう。
靴下を取ってきてやろうにも確かタンスの上から二段目だ…どうしたモノか。
てきぱきと支度する後ろ姿を見ながら考えていると、頭上から衝撃が走る…士郎のとは違う、固い手のひらだ。
「…おはよう」
「朝一番からご挨拶だな、おはようアーチャー」
むっつりしているが、この男はいつもこうだから寝ぼけているやらいないやらよくわからない。しかし律儀に挨拶はする、さすがは士郎の未来か。
その無表情のままでわしわしと私の頭を撫で、こちらが怒る寸前にふらりと台所へ向かう。
慌てて追いかけると、調理中の士郎の頭を撫でて怒られていた。
「なんだよ!邪魔だろ!」
「見とったろうが、羨ましかったか?」
「んなわけあるか!馬鹿!」
まんまと見ていたことを白状した士郎を満足そうに見遣り、アーチャーは私をひょいと抱えた。
「アチャどこに連れてくんだよ、まだ寒いだろ」
「馬鹿が履き忘れた靴下を取ってくるのだよ」
そう言って歩き出す、私も…士郎のためだと黙る。
廊下に出ると、庭がはっきり朝日に照らされていた。
…ゆっくりと揺れる温もりの中で、それを見つめている。
そういえば、この家の人間も出会った人間も、皆私を抱え上げてしゃべるのが好きだったなと思う。
士郎は特に。
下らないこと面白いこと興味深いこと、色々な士郎の考え。
楽しそうなその顔を、いつか曇らすと思うと少し辛かった。
すう…と規則正しい呼吸に耳を澄ましている。
息を殺して。
眠るアチャの傍らに正座して、士郎は身じろぎもしない。
「死んだわけではない」
縮こまる背中にアーチャーの言葉が当たって震える。
「…分かってる、でも、起き上がるには魔力が足りないし、魔力が足りてもアチャの体の仕組みが元々長く保つものじゃない、そうだろ」
「ああ」
「アーチャーは知っていたんだよな?」
背後に控えたアーチャーを振り返って、その目を覗いた。
「知ってた?嘘吐くなよ」
ぎゅっと睨む瞳、この期に及んで隠す理由はなかった。
「出かけた日に確かめた」
「…じゃあアチャも知ってたのかよ」
とん、と畳に手をつく。傾いだ体を支えようとアーチャーが伸ばした手を押しやった。
「平気だ…遠坂も知ってた、イリヤも…」
「何とかしようと必死だったんだ」
「…分かってる」
着いた手のひらをぎゅうと握る。
「でもなんで、教えてくれなかったんだよ…!」
どん、とアーチャーの胸板を拳で突いた。アーチャーは黙って受けて身じろぎもしない、覚悟はしていた、きっと傷つける。
それでも教えなかったのは、
「あいつはそれを望まなかった」
短い日々だと知っているから、笑った顔を覚えていたい。
自分のエゴだ、申し訳ないとちっちゃいのに真摯に頭を下げられた。
士郎の瞳が一回り大きくにじんで、瞼が下ろされた。
肩にポンと、頭が乗る。
「なんでお前、いつも何にも言わないんだよ…」
「……」
「もう一人じゃないだろ…ちゃんと半分よこせって、前言っただろ…」
「すまない」
辛いとか苦しいとか悲しいとか、憎らしいとか嫌いとか厭わしいとか。
幸せじゃない感情も我が儘もちゃんと分けてくれと言ったろう?顔についた靴底の模様、手当てしながら。
「そうじゃないと…俺とか、みんな、居る理由ないじゃんか…」
ぎゅう…と息が詰まるほど抱きしめる、日の昇る前のキンと冷えた部屋の底で二人。
「お前が泣くと私も泣きたくなる…」
「……」
「あいつもそうだったろう」
泣き方は忘れたと思っていた。
いつからだろう、この腕の中に収まりきれないものまで愛しいと、思い出したのは。
あいつが守りたかったものは、私も守りたかったものだから。
何をしてでも守る。
「はぁ…大きい士郎は僕によく似てるよ」
「それはろくなモノではないな」
「君に言われたくないな、人の身で化け物並みになったくせに」
でもねぇ…とふふんと笑い。
「僕やら君やらなんかと士郎が違うところは、愛嬌のあるところさ。だからここには随分人が増えたし、だから出来ることだって増えてる」
「……」
「気が付いてるかい?」
「私が貴様などに協力するなどと、思ってはいまいな」
「当たり前だろ、そんなの」
ふん、と鼻を鳴らし。
「僕に協力して貰おう、なんて思ってないさ」
その言葉の意味に言峰はちらりと視線を上げたが、切嗣はふらりと出て行った。
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五日目
そして静かに夜は明けた。
「おはよう、士郎は…」
「昨日の夜からずっとアチャを看ています」
「そう」
何度士郎が呼んでも揺すぶっても、アチャは起きなかった。
呼吸も体温も、そのままに眠っている。
「凛、アチャは…」
「もう動くだけの力が残ってないのよ。しばらくあのままで、そのうちに消えるわ」
「それは…辛い」
セイバーは目を伏せた。
(シロウはもっと辛い…)
す、と襖を引いて、桜が入ってくる。
「桜、士郎はどうしてる?」
「眠ろうとなさらないので、さっきアーチャーさんと二人で眠らせました」
「そう」
荒っぽいが仕方あるまい、この上士郎にまで倒れられてはどうしようもない。
「アーチャーは?」
「先輩に代わって、アチャさんのこと看ていらっしゃいます…眠ってないのはアーチャーさんも同じです」
「そう…」
側を離れないアーチャーの心情が察せられるだけに、簡単に寝てしまえとは言えない。
きゅっと口を結んだ凛に、桜はごく自然な口調でそれを尋ねた。
「姉さんは知ってらしたんですね、アチャさんがいずれはこうなるって」
「……」
沈黙は肯っていた。
「いつもはイリヤさんがいらっしゃった時に看ているのに、お城にわざわざ出かけていたから、何かあるんだなって思ってたんです」
凛は聖杯戦争後イリヤの体を診ているが、それは専らイリヤが城から遊びに来たときに簡単な診察をする形で行われていた。
凛が城に出向くのは、本当は珍しいことだったのだ。
「…そうよ」
ふぅ…と凛は息を吐き、同時に肩の力を抜いた。
「だってどう考えたっておかしいでしょ、プロセスのない生成なんて…唯一ありえる可能性はイリヤだったもの」
「最初から…」
「こうなる可能性が高いとは思ってた、でも余裕があるはずだったの、アチャ一人なら…」
「僕らが出てきちゃったもんね」
かかった声に三人が振り返ると、切嗣はにっこりと笑って見せた。
後からイリヤがひょっこりと顔を出す。
「私が、無意識とはいえ作り出しちゃったの…でも、本当は凛と二人でどうにかするつもりだった」
「僕らにも魔力が回るようになって、アチャの分がなくなっちゃってる状態なんだ」
切嗣はたはは…と笑った。
「僕のこと、憶えてくれてたのはとても嬉しいけど、がんばり過ぎちゃったね、イリヤ」
そう言ってイリヤの頭を撫でる。
「時間は、どのくらい残っているんですか?」
凛の声は固い。
「…一晩も保たないよ、このままじゃね。太い方のパイプに流れるモノだから」
「どうにもならないんですか?アチャさんが居なくなるなんて…イヤです」
「うーん、難しいんだけどね。でもね、運が向いた」
凛の顔を覗く。
「なんですか?」
「ん、何、士郎は幸運の女神に見込まれたなぁって。お嬢さんのお陰なんだ、そしてお嬢さんにしかできないことさ」
にっこり笑い。
「協力してもらえないかな?」
所変わって士郎の部屋。
アチャは文机の下で、士郎はその前に布団を敷いて、それぞれ眠っている。
ボンヤリと障子越しの明かりが、それを見守るアーチャーの横顔を照らしていた。
「……」
アチャと、士郎と、その顔をじっと見ている、アーチャーは武装している。
決断は早いほうが良い、どちらにしろ士郎は泣くだろう、涙を流さずに彼は泣くのだ。
(そういうところが…質が悪んだこいつは)
ふぅと息をついて立ち上りかけ、部屋を出て行きかけて目を見張った。
「やぁ…」
「…気配はさせておいてくれ」
いつのまにやら、アーチャーの背後に立っていた切嗣はあははと笑った。
「済まないね、でも、ほら、ばっさりやられちゃうと困るから」
「……」
「汚れ役引き受けちゃうところは僕譲りかな」
表情を固まらせたアーチャーに近づいてひょいと覗き、にっこりと微笑みかけた。
「……」
「でも躊躇ってる、士郎が大事なんだね、良かったよ。君があのままだったら、僕は辺土の果てでさえ後悔のし通しだ」
切嗣と言峰が消えれば、多少でもアチャの時間は延びる…そして士郎は泣くだろう。
声も立てずに。
「……」
「やっぱり?」
にこにこと微笑んだまま詰め寄る切嗣に、アーチャーはふっと肩の力を抜いた。
「…そうだな、それしかないならそうしたろうが」
肩をすくめるアーチャーに満足そうに頷き。
「うんうん、英霊になって物事を深く考えられるようになったんだね、可愛気はなくなったけど」
「貴方が士郎と私のことをどう考えているかはよく分かった」
アーチャーは眉間に寄った皺を指先で伸ばしつつ、ぶんと空を払いそこから引き出したのは手に馴染む黒の刃。
「だが、出来るだけのことはさせてもらう。あの似非神父の得意は心霊治療だ…力ずくでも協力してもらおう」
「荒っぽい解決法を学習したんだね」
「ここは人が多くてな…苦労が多いんだ」
うんざりした様子でそう言ったアーチャーに、切嗣はとても嬉しそうな顔をした。
「うん、人が多いのはいいことさ、だからこうして奇跡も起こせる…言峰にはもう手を打ったよ」
アーチャーはぴくりと眉を動かした。
ふむ…と口元に手をやる、
「…まさか…いや、しかし…第五次のことは知らんわけだしな…」
「どうしたんだい?」
「言峰は…」
険しい顔をしたアーチャーに、不思議そうな顔をしながら、
「ん、お嬢さんに頼んだよ?あの黒髪の、遠坂さんに」
「…それはそれは、良い選択だ。ちなみに遠坂の家の家訓をご存じか?」
小首をかしげ。
「ん?知らないけど…」
「あの家では、どうやら話し合いと書いてガンド撃ちと読むらしいぞ」
「え…」
どこかから、遠く遠く、地鳴りが聞こえる。
「だから協力してって言ってるでしょうがっっ!!」
凛が飛ぶ、屋根から飛び降り鮮やかに身をひねって着地。猫を思わせるしなやかな動きの間にも、獲物に向かってガンドは撃ちっぱなしだ。
「ふん…話があると言っておびき出したあげくに背後からガンドか。手口が稚拙だぞ…」
対する言峰は雨あられと降り注ぐガンドの雨をかわし、コートからぞろりと取り出したるは両手に余る数の黒鍵。
「うっさいわね!あんたが言うこと聞かないからでしょ!」
「ふん、だれも蘇らせろと言った覚えは無いぞ…!」
バックステップで、追い撃つガンドをかわした言峰の背後に黒い影。
「一呑みですっっ!!」
桜の気合い一声襲いかかる黒い影。
「くっっ…!」
かろうじてかわすも崩れた体勢、そして
「セイバー!やって!」
「エックスカリバァァァァァッァァァァ!!!!」
ドーン…ドゴォォォォォォオォォォン……
地鳴りがする…
「…アーチャー、なんの騒ぎなんだ?」
部屋から目を擦り擦り出てきた士郎を、アーチャーは縁側で押しとどめる。
「何、アチャを助けるのに神父の協力が必要でな、凛が説得しているに過ぎん」
「アチャ…助かるのか!?」
一気に目が覚めた様子だ。
「ああ、希望がある。そのうち凛が神父の消し炭か何かを持ってくるだろうから、それまでは休んでいろ」
「…消し炭じゃだめだろ?」
士郎は縁側に佇む切嗣を見つけ、
「あれ?じいさん、どうしたんだ」
「士郎…最近のお嬢さんは元気だね…」
「んーそうだな、遠坂も最近はエクスカリバー控えめにしてくれてて助かるけど」
「控えめ…」
「最初はさ、遠坂が撃ちたくってうずうずしてて大変だったんだ、本当。セイバーも結構好きだし、桜もなぁ…俺あのクラゲちょっと苦手というか…」
困るよなーと笑った士郎を、切嗣は様々な感慨の入り交じった実に複雑な表情で見つめた。
「士郎は…強くなったねぇ。それにここには、たくさんの人がいる…」
くしゃくしゃと頭を撫でた。
「うん、そうだね、士郎はもう大丈夫だ」
温かくてほんの少し淋しそうな声が…
「士郎、話が終わったなら早く休め」
「うん、早く休んできなさい士郎。やって貰うこともあるかもしれないから、今のうちに休んでいてね」
素直に従い、士郎が部屋に消えると、切嗣は長い長い溜息を吐き、
「なんだか…ジェネレーションギャップを感じるなぁ。最近のお嬢さんの説得って、ああなんだね。いや、実に逞しい」
「知らなかったろうがな、あの二人は犬猿だ」
そうなんだ…と笑う。
「毎日がこの調子だ、こちらも鍛えられるというものさ」
「ちぇ、おじさんはもう用無しだなぁ…ま、頼むよアーチャー、士郎のこと」
「無論だ」
割と恥ずかしい台詞を真顔で格好良く言い放ったアーチャーは、士郎を追って部屋に消えた。
「…ああいうところも僕譲りだね」
改めて道場方向の土煙を見やる。
さっきから地鳴りが止まない。年の功か、言峰は善戦しているようだ。
そしてその夜、一室に集まった皆を士郎は見渡し、ちょっと覚悟を決めてから、士郎は凛に話しかけた。
「…あのさ遠坂」
「何?」
まだ少し、先ほどまでの激戦の余韻を残した凛の視線に、士郎は一瞬怯えたが、なんとか後に控える神父に目を移し。
「あの…手伝ってくれるって?」
「一応ね」
フンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
焦げた神父の強情に、泰山の麻婆豆腐を条件に提示しなければならなかったのが余程気に入らなかったらしい。
「…領収書、回すからちゃんと経費で落としなさいよ」
「承知した」
重々しくアーチャーが頷いた、いつから経理になったのか。
しかし士郎は、凛がさっきのドンパチで宝石をいくつか使ったのを知っている。
泰山の麻婆豆腐代しか請求しないのは、彼女なりにアチャのことを心配し、その感情から行動したと自覚しているからだろう。彼女の言う贅肉という奴だ。
「ありがとうな、遠坂」
「別に…単にこいつにいくつか喰らわせてやりたかっただけよ」
まぁ、それも事実の内だろう。
神父は所々焦げ付いてはいたが、相変わらず不遜な態度を崩さずにいる…というよりは、普段からしてこの態度の大きさなのだろうが。
「これで大分条件は整ったわ」
アチャが生き残るには、まず魔力の確保。燃費は体格に見合ってかなりいいので、士郎がアーチャーを養いながら側に置いてもオーケー。
しかしそれには、厳密にはサーヴァントでないアチャの体の仕組みをいじって、外部と繋げるようにしなくてはならない。
「そのためのあんたよ、麻婆一杯分はきりきり働きなさい」
「…構わんがね、麻婆一杯分でいいのか」
「あんたに一杯分以上の借りを作るのは怖いしね。それ以上は桜の泥でも喰らわせたげるわよ」
「ふふふ…」
…まぁ神父方面は大丈夫なようである。
「でもね、まだちょっと入りようなものがあるの」
イリヤが切嗣の膝の上からちょんと飛び降りて両手を挙げる。
これは、高身長な男子に囲まれる中での自己アピールの一種らしい。
「アチャの体をいじってる間に、人で言うと輸血みたいなものがいるの。血液じゃなくて魔力なんだけど」
「成る程ね…俺の血でよくないか?」
イリヤは首を振り。
「ううん、体の仕組みを変えるから、壊して組み立てて再生して創造して補ってって、結構たくさんいるから、士郎の血を抜いちゃったら士郎が死んじゃうよ」
「そうなのか」
「アーチャーでも同じなの、だから、何か媒介に魔力を溜めて使いたいんだけど…」
「媒介…」
当然士郎の脳裏に凛の宝石が浮かぶ。
「…私だって鬼じゃないから、貸してあげたいのは山々なんだけど、宝石に溜められるのは私の魔力だけなのよ」
元々凛の家系の魔力はものに留まりやすく、一番相性がいいのが宝石なのだという。
だが士郎の魔力にその性質は無く、宝石に溜められない。
「そっか…」
座が沈みかけたとき、アーチャーが口を開いた。
「魔力が留まっているもの…が相応しいんだな」
「ええ、士郎かアーチャーか…勿論アチャ本人のものが一番いいけれど、そんなもの…」
「ある」
あっさり答え、アーチャーは士郎の文机に手を伸ばした。
そして取り出したのは。
「なあに?これ」
「アチャの投影物だ」
…それはいつかのガラスの靴。
再会の証は静かに煌めいていた。
月が冴え渡り星を駆逐している。
そのせいで、明るい割に酷く静かな夜だった。
それぞれの夜はそれぞれに降りる。
イリヤと凛は、言峰を連れて早速アチャのオペに取りかかり、桜はその手伝いに駆け回った。
切嗣をはじめ、オペの手伝い以外の人間は居間に集まり、なかなか進まない秒針にイライラしていて…
それでもいつか夜は深まって。
「終わったわよ…」
肩の荷が下りた…という顔をして、凛が居間に戻ったのは、夜半を過ぎてからだった。
珍しく、屈託無く笑って。
「大丈夫、上手く行ったから」
パァと居間の空気が明るくなった。
「遠坂、本当にありがとう。言峰もイリヤも桜も…」
「ええ…」
凛は少し俯いた。
「あのね士郎、アチャは朝には目を覚ますと思うの、だからね…」
切嗣はアーチャーがこちらを眺めているのに気が付いてにっこりと笑って見せた。
さよならは言い慣れていると。
アーチャーは苦り切った顔で頭を振って見せた。
あいつは何度繰り返しても慣れないのだと。
「さよならだね、士郎」
おっとりした声も月も静かさもいつかに似ていた。
(さようなら)
あの月の夜に肩に掛かった最後の重みは忘れようにも忘れられるものではなく、それに引きずられて地獄に落ちた。
優しすぎた男は、手のひらを重ねたまま一言もしゃべらない。
士郎はなるべくたくさんのことを話そうとして声を詰まらせている。時折ぎゅうと、重ねたアーチャーの手のひらを握り返す。
「うん、藤ねえには世話になってる…ああ、藤ねえが一番会いたかったんだろうな…」
(その人は居ないはずの人間で)
「ああ、もう本当にみんな騒がしくてさ…考える暇無いくらい」
(一度ならず二度までもお前を置いて行くのに)
「だから…うん、大丈夫、俺凄く幸せだよじいさん」
(何を健気に堪えているのだか、大泣きして、困らせてやろうとは思わんのか…)
「…アーチャーもいるからさ」
ぎゅうっと、手のひらを握られて、アーチャーは眉間の皺を深くした。
「ふらふらやってきたと思ったらまたふらふら出て行くのは変わらんな…」
(…忘れたって言ってたくせに、思い出したのかな)
「こいつももういい歳なのだから、そう心配することもない」
(なんでこいつ、じいさんの前だとこんな機嫌悪いんだろ…淋しいんだろうな)
「皆もいる…」
(でも誰かがじいさんの代わりになるわけじゃない、今までそうだったみたいに、これからも)
その淋しさを唯一分け合える、士郎はそっと重ねた手のひらを握り占める。
もはや山の端ににじむ光に星は駆逐されかけている。
今わずかずつ存在を大気に溶かし始める人が、かつて途轍もない強さを秘めているのを知っていたのに何故かいつも儚く感じていた。
一番最初に”守りたい”と思ったのはこの人だった。
口の端に微かに微笑みを浮かべて瞳を閉じ、最後に彼は彼に会った。
「…よろしくね、僕の可愛い息子二人を」
「無論だ」
「本当にいい子達だね、分かっていたろうに」
「……」
「僕は死人ですらないアインツベルンのホムンクルスだもの、記憶も行動様式も後付の似せ者…分かっていたろうにね、彼は泣いてくれたよ」
「…望まれたんだ」
「……」
「望まれて生まれてきたのだ、ならば生きるものと何が違う?」
「…君は本当にいい子だね」
ひょいと、誰もがそうしたように可愛らしい彼を抱き上げて微笑む。
「頼んだよ…」
声が震えることもなかったし、表情は微笑みを湛えたまま。だからアチャしか知らない、彼が胸を詰まらせていたことを。
ふっと肩に掛かっていた重みが消えた途端に目尻から一筋流れた。
胸の痛みは変わらず、けれど。
「……」
何にも言わずに寄り添う人がいる。
…朝日に向かって二人が寄り添う光景はなかなかに美しく、仕方ないので三人は五分間待ち、七分を過ぎた頃にいちゃつきすぎだふざけるなと蹴り倒した。
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そしていつもの朝
強い光が夜気を払う。
太陽が昇るのはいつも一瞬。
「痛い!…な、何すんだよ遠坂…」
「申し訳ないシロウ、しかしお天道様が見ている時間帯です、謹んで下さい」
「見てたのか…!」
真っ赤に急速沸騰した士郎に、凛が指を突きつける。
「そりゃーね、喜ぶだろうって一番に呼んだのに…アチャがぐれちゃっても知らないわよ」
「そうですよ先輩、ちっちゃい頃の教育の結果が後々になって出てくるものです!」
そんなことを言いながら、三人は堪えきれない笑顔を零している、
だって、
「…だから何度も言うが、私はホムンクルスであって…」
いつの間にか座敷にいた小さな影、ああ、随分と長い間聞かなかった気がする、その生真面目に一々訂正する…
「アチャ…!!」
「あー…その…心配をかけて申し訳なかったしろ…ってああもう!飛びつき癖は姉譲りかそれとも衛宮の血か!」
大げさに拒絶するも、弾んだ声は殺し切れず。
なで回されるアチャと、珍しい士郎の手放しの笑みに座敷が一気に和む。
ずいぶんと長い夜が明けて、光溢れる朝。
そこに、
「もう、アチャ、喜ぶのはいいけれど早く済ませて頂戴。何か不都合があるかも知れないでしょ」
奥からイリヤが顔を出す。
「ああ、済まない」
手を止めた士郎からアチャはポンと飛び降りた。
イリヤが士郎を手招きし、士郎はイリヤの近くに寄る。
「?なんだね、まだ何かあるのか?」
冷静ぶって事態を静観していたアーチャーが、手近な三人娘に問う。
「そうよ、大事なプロセスなんだけど…イリヤったらこんなに日が高い内になんて…」
「確かに大事なことですけど…ねぇ、セイバーさん」
「しかし一刻を争う事ですし、せめて離れで…」
なぜかもじもじと視線を逸らす三人娘。
「え…!!」
奥ではイリヤに耳打ちされた士郎が慌てた声を上げている。
アーチャーは不穏な空気を嗅ぎ取った。
「…君たち、何をしようとしているんだ?」
「やだ、アーチャーさんたら、そんなこと女の子に聞かないで下さい…」
赤くなって桜が俯くと、凛とセイバーもうんうんと頷く。
「ま…まさか…!」
アーチャーが自らの想像の果てに出した答えに絶句していると、士郎が少し顔を赤らめて戻り、縁側に出ていたアチャもとことこと戻ってくる。
そこでアチャをとっつかまえようとしたアーチャーは、がっしりとセイバーに羽交い締めにされた。
「と、止めるなセイバー!」
「アーチャー、気持ちは分かりますが堪えて下さい…パスはサーヴァントの生命線、今繋がなければ努力は水の泡です」
「しかし…!」
いくらなんでもそんな事って…!
…尋常になく取り乱すアーチャーは気が付かない、桜と凛が障子の影でうずくまって爆笑していることに。
士郎とアチャが向かい合い、士郎はそっとアチャを抱き上げる。
「…済まない士郎、これしか方法がないんだ」
士郎はぽっと頬を赤らめ。
「仕方ないよ…アチャが居てくれなくちゃ困るし…みんなの前ってのは恥ずかしいけど…アチャなら…さ」
「士郎…」
「アチャ…」
「そ…そんな馬鹿な…!」
見つめ合う二人にアーチャーの混乱は加速する。
…だから気が付かない、羽交い締めにしているセイバーも引き下がって事態を観察しているイリヤも、笑いを堪えすぎて顔が歪みそうになっていることに。
そして、ふっとアチャが瞳を閉じ、士郎はアチャの顔にぐっと顔を近づけ…
「や、やめ…!」
そして士郎は、アチャのおでこにチュッとキスをした。
「へ…」
と、思わずアーチャーが、素の声を出す中。
パチパチパチパチ…
拍手が湧いた。
「おめでとう、これで安心ね」
「パスつなぎ、成功です〜」
「いや、実に可愛らしい」
三人娘が笑顔で祝福する。
イリヤはちょちょいとアチャを確認し、にっこり笑った。
「うん、もう大丈夫」
士郎とアチャは顔を見合わせ、ちょっと照れながらも安心して笑い合った、
が、
「…さて、セイバー、凛、桜、そしてイリヤ」
地獄の底からやってきた血の色の正義の味方が、完全武装で廊下に出現。
こめかみの青筋は、視認できる範囲で三つ。
「や、やーねーアーチャーったら、ちょっとからかっただけじゃない」
「そうです、貴方のあの慌てようは後ろ暗いことがあるからであって…」
「あ、アーチャーさんが怒った所始めて見ました…私」
アーチャーが背景に歯車背負っているのを見て、さすがの三人も慌てる。
「ァ、アーチャー駄目よ、レディに手を挙げたりしちゃ…」
冷や汗をかきながらイリヤも後ずさる、が。
「ふふふふふふふ…久しぶりに守護者時代の鬱屈した感情を思い出した、感謝する」
にっこりと、衛宮直系の笑顔を浮かべ。
「礼は是非とも受け取って貰おう…!」
そしてまた…いつもの騒がしい朝が始まるのだ。
ドンドン!スパパパパ…ヒュッ…ドガァァァァ!!!!
彼方から腹に響く轟音。
「…士郎、いいのか?」
「いーんだ、固有結界の中なら外から見えないし、家に被害無いし」
士郎は大して気にも留めずに、台所でアチャにプリンの大盤振る舞いをしていた。
ほら、もっと食べとけよ…ともう一つ渡す。
(逞しいと言うより…)
「ん?どうしたアチャ?」
「いや…何でもない」
笑顔にほだされ思考を止めた、まぁいいんだ、そんな事を考えてゆく時間は貰った…あの人に。
「昼から何する?アチャ」
未来の話をする。
やがて、昨日神父を押しつけてしまった後ろめたさからか菓子折持参でやってきたランサーとギルガメッシュもアーチャーのささやかな復讐に巻き込まれた。
桜が呼んだライダーすらも、いつのまにか城のメイド達まで、戦線は加速して行く。
やがてみんなが疲れ果てた頃に藤ねえがやってきてケンカは終わり、夕食の時間。
皆で食卓を囲み皆でごちそうさまをして、それぞれの夜に寄り添う影。
いつもが、かけがえのないいつもが通り過ぎて行く。
そしていつもの朝が来る。
「士郎、ほら」
呼ばれて士郎が縁側に出ると、白い蝶がひらひらと舞って、
空に消えていった。
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